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 ― 4 ―


 グエンとサーラ、そしてユウナ。
 この三人がパーティを組んで六ヶ月になるが、個々の事情に踏み込むような会話は今までにしたことがなかった。
 ユウナの両親は有名だったから、グエンとサーラも二人のことを知っていた。だから、彼らから家庭のことを聞かれることはなかった。故に、ユウナとしてもグエンとサーラに家庭の事情を聞くことが出来かねた。
 家族を亡くしたと語るグエンに、何と言葉を掛ければ良いのか、ユウナは正直言ってわからない。
 ユウナの両親は、いまだに現役で冒険者を続けている。
 長年、西の大陸を支配し続けた魔王を倒した二人の名は有名で、故郷とは遠く離れたこの地にも彼らの活躍はギルドを介して伝わってきていた。
 それを聞くたびに、ユウナは両親の健在に安堵し、二人を誇らしく思う。
 だけど、グエンには家族がいない。家族がいないということは、帰る場所――故郷のようなものもないということか。だから、グエンは「仲間」に拘るのだろうか? 彼にはもう、この場所しかないから。
 帰る場所がないと言うこと。それを我が身に置き換えると、ユウナは途端に心細くなった。
 両親を見てきて、その能力を継いだユウナは、この能力は誰かを助けるための能力だと信じ、冒険者になることを決めた。
 グエンとサーラが支えてくれた。そして、二人の子供だからという思いも、あったのかもしれない。
〈ゼロの災厄〉に苛まれる熾烈な現実を前にも、挫けずに歩くことが出来た。
 両親の存在は、今の仲間である二人同様に、ユウナを支えてくれる。
 でも……グエンには、そんな家族がいない。
 戸惑うユウナを知ってか知らずか、グエンはお構いなしに話を進める。
「――で、彼らが勇退するってことで、俺は冒険者学校に入ったんだ。試験を受けて、資格を貰わないことにはギルドで報酬が貰えないからね」
 冒険者の資格を持つ者が、自らが学んだ知識を他の者に伝授するのは禁止されているわけではない。
 その後、正式に冒険者ギルドの世話になる場合、試験を受けて資格を習得する必要があるが……その実、資格がない者が冒険者と名乗ること自体も禁止されているわけではない。
 世に災いをもたらす魔族を倒すのは、誰でもいい。
 ただ、資格がない者が魔族を倒してギルドから報酬を貰おうとしても、貰えない。それだけだ。
「でも、わざわざ冒険者学校に入る必要はなかったんじゃないんですか? 試験を受けるだけでも」
 ユウナはグエンが家族の話題を素通りしたのは、話したくないからだろうと推測して、あえて触れないようにした。
 パーティに在籍して、八年も旅を続けていたならば、冒険者としての知識は十分に身についているだろう。そうユウナは考えて、グエンに問う。
「まあね。でも、仲間を探すつもりなら、年が近い子たちがいいかなって思っていたから。結果、ユウナちゃんや姫に会えたから、良かったと思うよ?」
 そう言って、グエンは白い歯を覗かせた。
 裏表のない快活な笑顔に、ユウナは救われた気がした。
 グエンの心の支えに、自分やサーラが一役買っていたら、嬉しいと思う。
 ホッと胸を撫で下ろしていると、アンナが台所から戻ってきた。茶だけではなく、軽い食事を作ってきたようだ。
「たいした物ではありませんけれど」
 大皿には、二枚重ねのパンの間に焼いた肉と野菜を挟んだもの。
 ボール型の器には、トウモロコシやニンジンなど野菜を茹でたサラダ。その上に卵風味のソースが風味よくかけられている。
「――どうぞ、お口に合えばよろしいのだけど」
「わあ、美味そう」
 早速とばかりに、グエンが手を伸ばしかければ、彼の後頭部にサーラの手刀が落とさた。  
 グエンがテーブルに突っ伏する。
 ガンと激しい音で天板に額を打ち付けた彼に、ユウナはそっと視線をそらした。
 サーラのグエンに対する徹底した冷たい態度は、もう見慣れたとはいえ、やはりちょっと痛々しい。
 かといって、サーラの行いを間違いだと指摘することも出来かねた。グエンが先陣切って食べだせば、食卓の皿はあっと言う間に空になってしまうだろう。
「貴方は一番後です。そちらのお子様と、ユウナが先です」
「あの、うちの子は家で食べさせますから……」
「魔族の話をお聞かせ願います」
 サーラはアンナを薄紫色の瞳で見据えて告げた。
 話が長くなるかもしれない、と暗に言いたいらしい。それで全てを察したらしいアンナはコクリと頷いて、我が子に目をやる。
「スタン、こちらのお兄様たちとお食事しましょう」
 アンナの子供はスタンという名らしい。
 子供は嬉しそうに頷く。
 ユウナはパン料理と野菜サラダを取り分けて、スタンの前に置いた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「ユウナです。こちらはサーラさんで、あの……」
 ユウナは、自ら名乗り、サーラを紹介する。
 そして、テーブルに顔を伏せて「しくしく」と口で泣いているグエンの黒い後頭部を指差し、名前を口にしようとしたところでサーラの声が割って入った。
「馬鹿は放っておきましょう」
「――馬鹿じゃないよっ!」
 スタンに誤解されてはたまらないと、ガバッとグエンは起き上がる。
 しかし、「馬鹿」と言う単語に反応していては、自らを「馬鹿」と認めることに他ならないのではないかと、ユウナは思うのだが。


                   * * *


 ルセニアの緋色の瞳が見つめる先には、美しい――今日出会ったサーラという少女もまた美しかったが、彼女と並んでも遜色のない――黒髪の女がいた。
 大きく開いた胸元に輝くのは、七色の宝石を配置した煌びやかな首飾り。それを飾った白い肌をピンと張った豊満な胸元。そこから優雅なラインを描きながら絞られる細い腰。
 烏の濡れた羽色のような黒髪は、頭の頂点で結い上げられ、背中へ流れている。結い残した髪の間から見え隠れする耳は、人と違って少し先端が尖っていた。その形の異様さを誤魔化すためか、耳たぶには金色に輝く耳飾り。
 広い額に細い顎。綺麗な卵形の顔に、バランスよく並んだ目鼻。白い肌の上に塗られた赤い唇は肉厚的で、それが妖しい色香をかもし出していた。
 布地に寸分の余裕もないような、身体にピッタリと張り付いたドレスを纏い、長椅子に下半身を横たわらせ、光沢のある布地の大きなクッションに上体を沈めた姿勢でルセニアを振り返れば、長い睫の下から緋色の瞳が覗いた。
 魔族の女であるカネリア――彼女に自分と同じ、緋色が宿っているのを目にするたび、ルセニアは己の目を抉りたくなる。
 子供染みた反抗心の現われだと、ルセニアは自覚しているが、一度根付いてしまったこの感情は消えることがない。
 彼女はその緋色の瞳に動揺の色を一つも浮かべず、ルセニアの親友テッドを火刑に処した。
 生きながらに焼かれたテッドの断末魔は、今も耳に残っている。その光景も、悪夢として見る。
 罪は、テッドにあったと思う。
 彼はカネリアを殺そうとした――ただ、魔族であるという理由で。
 だが、慈悲もなく冷酷に、一人の人間をその手で灰へと変えた所業を前にすれば、ルセニアは何が正しくて、何が間違っているのか、わかりかねた。
 魔族という脅威の前に支配され続けていれば、現状を打破しようとテッドが考えても無理はなかっただろう。
 鐘の音一つで、子供たちから笑顔が奪われる。
 彼女が村へと降りてくれば、村人たちは土に額を擦り付ける。
 六十年前に、この村に現れたカネリアは、自らが魔族であることを口の端に乗せて、住居を一軒要求した。
 たかが女一人と、当時、村の代表を務めていた者は思ったらしい。村には余分な土地がないと、その要求を断ったところ、彼女は村の南にあった山を一瞬のうちに削り取ってしまった。
『あの土地に造るが良い』
 魔族の絶大なる能力を目の当たりにした村人たちは、現在、カネリアが住まうこの建物を造り上げた。
 それから今日まで、バゼルダ村はカネリアの支配下に置かれている。
 とはいえ、カネリアはそれ以上理不尽な要求をすることはなかったし、村人を奴隷のようにこき使うことも――村の女性数人を身の回りの世話をさせるために雇っているが、給金を与えていた――なかった。
 日に一度から二度、村の代表を鐘の音で呼び出し、思い出したように村に現れる。
 だが、村人の中に植えつけられた恐怖は、彼女を前にすると頭を垂れてしまう。
 それがテッドには我慢ならなかったようだ。
『スタンに、気兼ねなく笑える未来を与えてやりたい』
 ようやく自らの足で歩き始めた幼い我が子の名を口にして、テッドは酒を片手によく語っていた。
 その言葉を聞きながら、親とはそういうものか、とルセニアは思った。
 成人を過ぎた辺りから容姿が老けず、年相応に見られることがなくなったルセニアだが、テッドより早く妻を迎えていた。
 相手はテッドの奥方であるアンナの妹、マリー。
 四人で集まっては、毎夜夜遅くまで語り合ったものだ。しかし、マリーは子を宿して数ヵ月後、子供を流しそのまま自らも息を引き取った。
 マリーが息を引き取った居間の状況は、とても正視に耐え難いものだった。床は血の海となり、その中央にマリーは倒れていた。引き裂かれたワンピースから覗く腹は、何かが内側から破裂したように肉を裂いていた。肉塊に成り果てた子宮からは人の形になりえていない胎児の頭が覗いていた。
 ただの流産と言って良かったのか、いまだに迷う。
 しかし、この村で犯罪はなかった――カネリアの存在が村人たちの間での揉め事を抑止していた。共通の敵の前には、いさかいも起こらなかったのだ。
 ルセニアとマリーの夫婦生活は二年もなかったように思える。
 妻と子を同時に失い、落ち込んでいたルセニアをアンナは気遣い、テッドは元気付けてくれた。
 そうして、テッドとアンナの間に生まれたスタンを、ルセニアも我が子のように可愛がっていた。
 しかし、カネリアを害そうと考えるまで、ルセニアは彼女に対して恐怖を覚えていなかった。
 それはきっと、ルセニアが幼少の頃からカネリアに接していたからだと思う。
 ルセニアの父フランは、村の代表を務めていた。
 カネリアが呼び出す鐘の音に、フランはルセニアを伴って彼女の住居を訪ねていった。魔族であるカネリアを前にしても、フランは全く臆することがなかったように、ルセニアは記憶している。
 燃え盛る炎のような赤い髪と、深い水の底を覗き込んだような青色の瞳をしていたフランに、妻はいなかった。
 ルセニアは子供心に、自分は父の子ではないのではないかと思ったものだ。
 村人の話を聞けば、昔からフランの周りには女性の影がなく、ある日突然、赤ん坊を連れてきたのだというのだ。
『きっと、村の外で女を作っていたのだろう』と。
 少年期のルセニアに、テッドが訳知り顔で語った。
『髪の色も瞳の色も違うけれど、顔は親父さん、そっくりだ』と。
 テッドの言うとおり、フランは痩身で端整な顔をしていた。ルセニアと共に暮らしているときは、陰りを覗かせる笑顔で、どこか儚げな印象を与えたものだが。
 カネリアの前では明るく、二人の間には笑い声があった。
 幼心にルセニアも、魔族に対して恐ろしさを感じていたが、父の前では口元をほころばせては美しく微笑する彼女だけは、不思議と怖くなかった。
 だから、カネリアがテッドを処刑するまで、ルセニアには彼女に対して悪意はなかった。
 故に、テッドの言葉を深刻に受け止めていなかったと言って良い。
 テッドが抱いていた感情と自分が抱いていた感情に、決定的な差があるなんて思いも寄らなかった。
 そして、悲劇の日は訪れた。
『久しぶりに、村が見たい』
 カネリアの呼び出しを受けて、フラン亡き後、村の代表を務めることとなったルセニアが屋敷を訪れれば、彼女はそう言った。
 そうして、村を案内している途中、テッドは鎌を片手にカネリアに襲い掛かった。
 砥がれた刃がカネリアの白い柔肌を切り裂いた。赤い血が滴り、身に纏ったドレスが鮮血に染まる。
 何が起こっているのか理解できずにいたルセニアの耳に、テッドの勝ち誇ったような声が届く。
『くたばれ、魔族が――』
 さらに凶刃を振り下ろそうとした瞬間、
『<痴れ者よ――>』
 テッドの身体が突如、炎に包まれた。火柱の真ん中で、もがき苦しむ黒い人影は烈火に飲み込まれ、焔へと変わる。
 視界を染める血の赤と、炎の赤。
 緋色の瞳を見開くしかなかったルセニアの耳に、カネリアが冷たい声が余韻として残る。
『<――燃え失せろ>』
 ただその一言で、テッドは灰へと変わった。
 ――今から遡ること八年前の出来事だった。


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