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 ― 5 ―


 カネリアという魔人は、今までに見聞きした魔人とは少し違う。
 ユウナが、アンナから話を聞いて、最初に思ったことはそれだった。
 しかし、魔族という脅威は、バゼルダ村でも同じらしい。
 カネリアに対する畏怖は、楔のように村人たちの深層心理に打ち込まれていた。
 鐘が鳴るだけで抑圧されているように感じ、鬱屈したものが爆発したとき、テッドを凶行へと走らせたのだろう。そして、カネリアがテッドを殺したのは、我が身を守るためだった。
 そこに慈悲が入り込む余地など、ない。
 己の命が危険に晒されている状況で、自分を害そうとする相手を思いやれる余裕がないのは、人も魔人も変わらない。誰だって、自分の命が惜しいに決まっている。
 そうして、何かを守りたいと思ったときに、自らの命を投げ出す覚悟をつける。
 テッドはスタンの未来の為に、魔族へと立ち向かった。
 それもまた、正義ならば……一体誰を責めれば良いのか、ユウナにはわからなかった。
 そうなれば、なおのこと。
 ルセニアが求める力に、どのように答えれば良いのだろう……。


                    * * *


「クマを退治に出掛けたと聞いた。怪我はしておらぬようだな」
 声に顔を上げれば、カネリアが上体を起こして、こちらに身を乗り出すようにしていた。
「ええ、まあ」
 ルセニアがそっと頷けば、カネリアは紅を塗った赤い唇をほころばせた。
 艶やかな微笑。
 口調は威圧的で、どこか男っぽさを感じさせる。しかし、表情や仕草はいたって女性らしい。
「ルセニアのことだ。簡単に倒したのだろうな。相変わらず、弓の腕は落ちてはいまい」
 軽やかな笑い声に、ルセニアは「いえ、そのようなことは」と短く応えた。
 クマを倒したのは、自分ではない。だが、ルセニアは森で出会った冒険者たちのことを口にするのを控えた。
 いずれ、彼女の耳にも届くだろう。村の女性を身の回りに置いている現状。どうあっても、彼女の耳に入るはずだ。あの三人は目立ちすぎた。
 ユウナという少年の愛らしい面立ちも、サーラという白銀の髪の少女の美しさも、グエンという青年の精悍な凛々しさも。
 個々で目立つのに、それが集団となれば、人目を引かないというわけにはいかない。
 だが、ユウナたち三人の冒険者の存在は、切り札になる。
 今は伏せておくべきだと、冷静に判断するルセニアがいた。そうして、彼自身はそんな自分に戸惑う。
 ……仇をとるつもりなのか?
 ルセニアは自問自答する。
 ……わからない。
 ただ、
『<痴れ者よ――燃え失せろ>』
 そう、冷たく声を響かせたカネリアを思い出せば、目の前にある微笑みも、父と共に見ていた笑みとは違って見えた。
 もしも今、弓を構え、カネリアへと矢を放ったら……。
 彼女は、あの日のように冷たく声を響かせて、自分を灰へと変えるのではないか?
 その光景を容易に想像できる自分がいれば、ルセニアは緋色の瞳を前にし、己の目を抉りたくなるのだ。
「お前の腕を信用しておらぬわけではないがな」
 カネリアがふと、視線を横へと向ける。
 ルセニアはそれを追いかけた。
 大きな窓には、気泡が一つも含まれていないガラスが――それだけで高価なガラスだ。六十年前にカネリアに贈与したこの屋敷に、村の財政が圧迫されただろうことは、簡単に想像できた――はめ込まれており、高台にあるこの屋敷からは茜色に染まった村と森が一望できる。
 彼女はそれを一瞬眺めて、ルセニアへと視線を戻してくる。
「最近、森の獣たちが騒いでおる」
「……ええ」
 森の獣は、村の財産でもあった。小さな土地で作られる作物はそれほど多くはない。
 だから、森で取れる獣たちの毛皮を、余所の村や町に売って、代わりに野菜などを仕入れていた。
 ルセニアは村の代表を務める傍ら、猟師として森に出入りしている。そんな彼だから、最近の森の様子が奇妙だと感じていた。小動物は消え、大きな獣がうろつき始めている。
 動物は人間と違って敏感であるのなら、何かを感じ取っているのだろう。
 小動物は臆病さ故に姿を隠し、大きな獣たちは己の縄張りを主張するように動き回る。
「ルセニアの手に余るようであれば、いつだって我を呼べ」
「……そんな、カネリア様のお手を煩わせるようなことは」
 首を振りながら、ルセニアは思う。
 まるで、村の守護者だ、と。
 この一連の会話だけを聞けば、カネリアは悪ではないと知れる。
 知っているから……テッドの悲劇から八年の月日が過ぎていた。
 断罪すべきかどうか、答えを見つけられないまま、八年の時を費やしてしまった。
「カネリアと呼べと言ったであろう? ルセニアにはそれを許している」
 微かに眉を顰めながら、彼女は不服そうに紅を塗った唇を歪めた。
 ルセニアはそっと、目を伏せる。
「……はい」
「我はルセニアを気に入っている。そんなお前を、森の獣ごときに奪われるわけにはいかぬからな」
「私は……それほど、柔ではありません」
「ああ、そのようなことは知っているさ。だからこそ、言っているのだ。ルセニア、お前に何かあれば、我は惜しむ。このような形で口にでもしなければ、我の心をお前は訊こうとはしないだろう?」
 瞳を向ければ、首を傾けてカネリアは艶然と微笑んだ。
 心配しているのだと、言いたいらしい。回りくどい。
 だが、あけすけに心の内側を語るほど、カネリアはこちらを信用していないのだろう。そして、ルセニアもまた、彼女を信用しきれない。
 この会話も社交辞令の一種とも取れる。
 敵か、味方か。ハッキリとしていれば、迷うことはないのかもしれない。
「そのお心遣い、感謝いたします」
 ルセニアもまた、口元に笑みを浮かべて応えた。
 その声は自分でも自覚できるほど、薄っぺらな声だった。


                    * * *


「やけに、人間に執心しているんだな。あんな折れそうな男が好みか」
 ルセニアが去った後、窓を開いて現れたのは黒衣の青年。
 貴族のような装いに身を包み、漆黒の黒髪に、氷を張った湖のような薄い蒼色の瞳の彼が今しがた自ら入ってきた窓を振り返れば、屋敷から出るルセニアの姿が見えることだろう。
 カネリアは彼に緋色の瞳を向けた。そうして、彼の意識をこちらに向けさせるべく名を呼んだ。
「細さで言えば、貴様も変わらんであろう――ディア」
 ディアと名を呼ばれた青年は、薄い蒼色の瞳をカネリアに戻してきた。
「また来たのか。お前が来るから、森の獣が騒ぐ」
 うんざりとした様子でカネリアが息を吐けば、彼は楽しそうに唇を捻じ曲げて笑った。
「俺が来なければ、困るのはお前だろう」
 彼は長椅子に横たわっているカネリアへと近づいて、そっと顔を寄せてきた。
 瞳を覗き込むようにして、問いかけてくる。
「人を支配するわけでもないお前に、財が成せるのか? 全く、お前が何を考えているのか、わからんな。人に肩入れして、何が楽しい?」
「お前などに、我の趣向は一生を費やしたところでわからぬさ。それより、物は持ってきたであろうな?」
 カネリアが問い返せば、彼はズシリと重たい袋を床に落とした。口を開けた袋の中から、金貨がこぼれる。
「貢物だ。こんなもの、俺を使うまでもなく、お前がこの村の連中を脅かせば奪えるだろう。第一に、人間が使う金が、何で必要なんだ」
「お前が知る必要はない。我が欲しいのなら、あと二年、黙って金を用意すればいい。それで、お前の花嫁になってやろうと言うのだ。安い取引だろう?」
 カネリアはそう言うと、ディアを押しのけて立ち上がった。床に落ちた袋を拾い上げると、窓辺へと向かう。その背中にディアの声が苦々しさを湛えて、追いかけてきた。
「お前が女でなければ、今頃縊り殺してやるところだ」
 カネリアは肩越しに振り返って、笑った。
「我が男だったならば、そっくりそのまま今の言葉を、お前に返すさ」
「全くだな」
 女の数が絶対的に少なすぎる現状。女は優遇されてきた。その中で、女を妻に迎えることが出来る男は、同族の中でも一目置かれた。
 子孫を残すことが出来る特権。血族を持つ魔人は子の数だけ、自在に使える駒を持つことが出来るということだ。
 同族間にでも支配階級があれば、より多くの魔人を支配できるものが、上に立つ。
 ただ、それだけの為に、ディアはカネリアの要求を聞いている。
 定期的に金を用意しろ、村の者たちの前に姿を現すな、害すな。
 魔族とは思えぬその要求を前に、ディアが従うのは他でもない。同族の中でさらに確固たる地位を得ようとしているからだ。
「聞いたか? リスラが死んだ」
 女という武器を前に、カネリアに平伏する自分が悔しいのか、ディアは同族の死を口にした。
 それでこちらの動揺を誘うつもりだったらしいが、カネリアとしては一片も心は揺れなかった。
「――ほう」
 ただ、薄紅の髪に金色の瞳の青年の姿を思い出すだけだ。
 一国をくれてやるから、妻になれと。ディアと変わらぬ要求を突きつけてきた青年は、ガリアという国を手に入れると豪語していた。
 恐らく、その際に失敗して、命を落としたのだろう。派手に動き回れば、冒険者たちの標的になりやすい。
「お前に求婚していただろう、奴も。それでその態度か?」
 ディアの声に宿る苦さが増した。感情が手に取るようにわかるから、御しやすい。
 カネリアは薄く笑いながら告げた。
「弱い男は女を娶る資格がない。それだけだろう?」
「なるほど」
「お前も精々、冒険者に駆逐されることがないようにな」
「人間が俺を殺せるか」
「リスラが死んだのは、冒険者に倒されてのことだろう? それとも、同族の手に掛かったか?」
「……っ!」
 蒼い瞳に殺気を宿して、ディアはカネリアを睨んだ。
「人を甘く見ないほうがいい。これは我からの忠告だ」
「だから、お前は人の輪の中にいるというのか?」
「さてな。お前に全てを語る必要はないだろう? 我は沈黙を好む」
 誰もこちらの真意など知る必要はない。
 全てを沈黙の元に、封印すると心に決めたときから、カネリアは沈黙がもたらす代償を覚悟していた。
『私は貴方の選択を認めません。しかし、それが貴方の望みなら……。一つだけ言ってよろしいか。きっと、貴方は沈黙を後悔する日が来るでしょう』
 耳元に蘇ったのは、過去の声。
『――我は後悔などしない』
『いいえ、きっとします。きっと』
 確信を持って告げた彼の目には涙が溢れていた。
 嗚咽を堪え、静かに雫を頬へとこぼして、彼は真っ直ぐにカネリアを見据えた。
『私は貴方の選択に従いましょう』
『――ですが、忘れないで下さい』と、彼は涙声を響かせた。
『貴方の後悔が、貴方が私たちに与えてくれた愛情の証です。貴方が私たちを愛していると言うのなら、きっと貴方は後悔する。私は、それを信じている』
 カネリアは記憶の残像を黙殺するように目を伏せ、声を吐き出した。
「もう――用は済んだだろう」
 開いた窓の外を指し示して、ディアに緋色の瞳を向ける。
「帰ってくれ。ただし、森には寄るな、獣が騒ぐ」
「用が済んだのは、お前だけだろう」
 そう言って近づいてきたディアの腕が、カネリアの腰に回る。
「我はお前に用はない。死にたいか?」
 迫ってきたディアの首筋に爪を立てれば、青年の身体に緊張が走るのがわかった。
 カネリアにはディアを殺すことなど、造作もなかった。しかし、青年にはカネリアには手出しが出来ない。
 ただでさえ少ない女を殺せば、ディアは同族の男たちから私刑を受けるだろう。
 既にある彼の地位もお構いなしに、彼は同族から狩られる運命に陥る。
 ディアだけでなく、男は全て女の身に手出しできない。妻として迎えて後、初めて女は男の所有物となる。
「二年後には、この身の全てをお前にくれてやろうと言うのだ。今、我の機嫌を損ねるのは得策ではないと思うが?」
「本当に、俺の妻になるのだな?」
「二年後……お前が死んでいなければな」
 紅を塗った唇を歪めてカネリアは嘲笑した。
「何故、二年後だ?」
 こちらの瞳を覗いてくるディアに、カネリアは視線をそらして、小さく呟く。
「〈ゼロの災厄〉――と、人間たちは呼んでいるらしい。開門の日」
 百年に一度、あちらの世界とこちらの世界が繋がる日を、カネリアたち魔人は開門の日と呼んでいた。
 流されてくる者、意図的に渡ってくる者と、それぞれだろう。カネリア自身は先の開門の日の折に、多くの求婚者たちから逃れるべく、こちらへと渡ってきた。
 そうして、六十年ほど前にこの地に落ち着いた。男たちに追われることなく暮らしてきた日々だが、人間の口から噂として魔族の存在が語られれば、リスラやディアと言った求婚者が再び、現れるようになったが。
 そんな来訪者の中には、ディアのように話せば通じる相手もいるかもしれない。
 しかし、知能が低く本能だけの魔獣相手に、物事を説くのは無理だ。数匹程度なら、カネリアの力で排除することも出来る。だが、〈ゼロの災厄〉の規模は、時によって様々ならば、楽観視は出来ない。
 今まで通りの平穏を望むのは難しいだろう。
「……新たにやってくる輩は、秩序も何もぶち壊してくれるだろう」
 カネリアが見守り続けてきたこの平穏も、壊れてしまうのなら。
 その日を最後に、思い出と決別しようと。
「我が留まるこの地も荒らされるのなら、お前の元に連れて行け。我はこの地が汚されるのを見たくはない――ただ、それだけだ」


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