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 ― 6 ―


「夕食の際、貴方は話をそらしましたね」
 何の前置きもなく単刀直入に言ってきたサーラの言葉に、グエンは、はて、何のことか? と首を傾げた。
「……ええっと、話をそらしたって」
「いきなり、師匠の話は強引でした。何を隠しました?」
 薄紫色の瞳は冷たくグエンを睨む。
 サーラの指摘に夕食時の会話を反芻すれば、思い当たることが一つ。
 だけど、それは……。
 グエンは藍色の瞳を上目遣いにして、こちらを見下ろしてくるサーラを見上げた。
 ユウナは今、風呂に入っている。ルセニアが用意してくれた部屋には、現在サーラと二人きりだった。
 ここは年頃の男女ということで、色っぽい雰囲気を作りたいところだが、彼女を前にそんなことをすれば瞬殺されるだろう。
 サーラとの親交を深めたいところではあるが、命は惜しい。
「何か、ユウナに聞かれてはまずいことなのでしょうか」
 わざわざ、サーラから話を振ってきたのは、やはりユウナに配慮してのことらしい。
 ユウナを思いやるあまりにグエンは、ユウナには嘘をついてしまう。
 サーラは、そこからユウナにとって憂慮すべき事実があるのかと、気になったのだろう。
「……ユウナちゃんというか。姫やスタン君にも聞かせにくいことだったからさ」
「何です? 私に気遣いは無用です」
「姫はそう言うけど」
「貴方に気遣われると、虫唾が走ります」
「……………………」
(俺の心臓、きっと……血の涙を流しているよ)
 グエンは胸元に感じる激痛に、よろめきそうになる身体を踏ん張らせた。
 負けちゃダメだっ! これは、姫が俺に与えた試練なんだっ! この試練を乗り越えて、俺は姫に認められるんだっ!
(負けるな、俺っ!)
 心の中で、自らに喝を入れてグエンは笑う。
「でも、やっぱり、女の子相手に聞かせるには……あんまりな話で」
 唇の端、白い歯を覗かせて爽やかな笑みを心掛けて、グエンはサーラの気をそらそうとするが、またしても一刀両断でグエンの厚意は断ち切られる。
「貴方に女として見られたくありません」
「……………………」
(――試練だ)
 目からこぼれそうになる涙をぐっと堪える。
(泣いちゃダメだっ! 男の子だろ、俺っ!)
 自らに掛ける喝が、既に女々しいことに気づかず、グエンは唇を結んだ。
 サーラは「構わない」と言うけれど。やはり話しがたい内容ならば、どんなに責められてもグエンは口に鍵を掛けようと心に誓う。
 しかし、
「私と話が出来ないということでしたら、わかりました。私はもう二度と、金輪際、未来永劫――貴方と会話することはないでしょう」
 踵を返して部屋を出て行こうとするサーラを、グエンは慌てて引き止めた。
「話します」
 ……鍵は壊れていたらしい。
「余計な手間を掛けさせないでください」
 肩越しに振り返る冷ややかな視線を前に、グエンは謝った。
「……ゴメンなさい」
 グエンはハアッと大きなため息を吐いて、黒髪を掻いた。
 頭の中で、話の流れを組み立てるとサーラにそっと問いかけた。
「あの時、何の話をしていたか覚えている?」
 夕食時、話の流れを強引に折ってしまったその原因について尋ねると、サーラが無感動に返してきた。
「魔人の女は稀少だと」
「うん。……だからね、魔人の男たちは自分の子孫を残すために」
 状況を説明するための言葉をいざ口にしようとして、グエンは思わず息を詰めた。その単語が説明する現実の非道さに背筋が震えた。そして、それを目の前にし、脳裏に忌まわしいくも刻まれた記憶が蘇ろうとするのを、唇を噛んでねじ伏せた。
 動揺をひたすら押し隠して、グエンは声を発するが、
「人間の女を……」
 二の句を継ぐのに言いよどんだ僅かな一瞬に、サーラが冷ややかな声を滑り込ませてきた。
「強姦するのですか」
「……姫、そこは言葉を選ぼうよ」
 グエンが口の中に感じた苦さを表情に乗せれば、冷淡な瞳が返ってくる。
「貴方は馬鹿ですか? 言葉を変えたところで、事実は変えられません。むしろ、現実を誤魔化し、ぼかしては、悲惨さを曖昧にするだけです」
 サーラの甘えを許さない厳しさは、どんな現実を前にしても目をそらさない。
 よくよく考えれば、その美貌故に男たちに好色の目を向けられているサーラが、自ら望んでその言葉を使いたいわけがない。
 それでもあえて、女性として屈辱的な言葉を使ったのは、そこにある現実の悲惨さや痛みを全て受け止めて、前へと進むためだろう。
 そうしてサーラは、全てを客観的な視点から見つめ、自分に何が出来るか、どこまで手を差し伸べるべきか。冷静に判断を下す。時に、当事者には冷酷とも思える判断も、振り返ってみれば揺るぎのない信念の元にある。
 その強さは、ユウナのひたむきさと変わらずに尊いものだと、グエンには思えた。
「……そうだね」
 グエンは唇の端を引き結んで、頷いた。
 現実から目をそらしていたら、何も見えなくなってしまう。
 この身に刻まれた傷も、この瞳に映した凄惨な現場も。
 全てが現実で、これから先も繰り返されようとする悲劇ならば。
 魔族と戦って、命を落すようなことになろうとも、大切な人たちが傷つくことのないよう守りたい、助けたいと願った自分がいる。
 右腕を包んだ黒い手袋を撫でて、グエンは口を開いた。
「そう――魔人の男たちは人間の女を強姦し、子を孕ませようとしたんだ」
「した――ということは、出来なかったということですか?」
 過去形に、サーラが僅かに眉を顰めた。唾棄すべき行いが全て無意味であったことに、汚された女たちの心情を思えば、自然と表情も崩れるのだろう。
 グエンは滅多に変わらないサーラの変化に目を伏せて、顎を引く。
「……人間の腹にはね、魔族の血は受け入れがたい毒なんだよ。その血に適合するのは、百人に一人いれば良かった。大抵は、四ヶ月、五ヶ月辺りで……皆、子供を流した。……いや、流したというのは適切じゃないな。腹を破裂させて母子共々――死んだ」
 大きく膨れた腹が破裂して、血が吹き出る。縋るように伸ばした手が、空を掻いた状態で固まる。悲鳴を絶叫へと変えながら、赤く染まった床に倒れ、目を剥き、泡を吹いて死んだ母親の姿を思い出せば、グエンの身体はおのずと震えだした。
「――――姫には話したかな? 俺の母親も、そうして死んだんだ」
 ギュッと腕に爪を立てて、震えを抑えようとするグエンの頭上、サーラの声が静かに降ってきた。
「初めて聞きました」
 感情のブレなど感じさせない淡々とした声は、同情の欠片などなかった。
 それが、グエンには不思議とありがたく思えた――いつもなら、サーラの素っ気ない態度に滅入ってしまうところだが。
 今、彼女から欲しいのは同情じゃない。
 過去に留まってはいられないのだ。
 自分は、前へと向かうユウナやサーラの盾になると決めた。二人の仲間を守ると決めた。
 だから、歩いていかなければ。
「……そっか」
 サーラにはこの身の秘密を話してある。人間ではありえない驚異的なスピードで、どんな傷も再生する身体に流れる穢れた血と、それを与えられることになった経緯。
 ユウナの父親が魔族を倒し、暗い檻の中から助けてくれるまでの約二年のこと。
 それから一年ほど、グエンはユウナの両親の元に保護されていたことも。
 当時の記憶は、グエンには優しい思い出としてあるが、幼かったユウナは覚えていないだろう。
 忘却を寂しいことだとは思わない。何故なら、それを望んだのはグエン自身だったから。
 成長したユウナの記憶に自分のことが残っていないのなら、そのまま何も語らないで欲しい――と。旅立ちを心に決めて、あの場所を離れるとき、グエンはユウナの両親に頼んでいた。
 ユウナの記憶に自分のことが再び刻まれることがあるのなら、それは過去に苦しんだ自分ではなく、未来のために歩き出した自分であって欲しかったから。
 一瞬、思い出に流れかけた思考を引き戻して、グエンは話を元に戻す。
「……それでね、アンナさんの話を聞いていて……ちょっと思ったことがあったんだけど」
 カネリアという魔族の素性を聞く上で聞かされた、ルセニアの身の上話。
 ルセニアの父親が村の代表を務めていたこと。アンナの妹がルセニアの妻であり、彼の子を身ごもりながら死んだこと。
 一つ一つを繋ぎ合わせて、グエンは疑問を抱く。
 それを相談しようとして顔を上げれば、薄紫色の瞳がこちらを見据えていた。
「ルセニア殿のお子のことですか」
 サーラの唇から出てきたそれに、グエンは自らの疑念を確信に変えた。


                  * * *


 温かいお湯が身体を包めば、長旅に疲れていた四肢の緊張が解けたようだった。
 旅をしていると、なかなか身体をゆっくりと湯に浸からせる機会などない。だからといって、フロに入っていないために不潔かと言えば、サーラが魔法で汚れを浄化してくれるので、身体から汗の匂いがすることは稀だった。
 と同時に、石鹸の香りを嗅ぐのも久しぶりだ。
 新しい服に袖を通して、ユウナは身体に残った香りに口元を緩めた。
 石鹸の匂いは、母親を思い出させる。
 黒魔法使いとしては優秀な母親であったけれど、家事全般は苦手としていた。
 彼女が洗った洗濯物にはいつも、石鹸の匂いがしていた。濯ぐのが不十分だったため、匂いが残っているのだ。
 日向の匂いと、石鹸の香りと。
『奥さんの匂いだね』
 冒険の旅から帰ってきた父親は、その香りがする服を着て、本当に幸せそうな笑みで口元に飾る。
『そして、僕のユウナの匂い』
 父親はまだ小さかったユウナを抱きしめて言った。
『この匂いを嗅ぐと、帰ってきたなって思うよ』
 まだユウナが手のかかる幼子だったため、冒険の旅へは父親一人だった。仲間は亡くしていたから、彼は請われたその都度に、パーティを渡り歩いていた。
 自分にとっての仲間は、亡くした者たちだけだから、と。
 力を貸すことはしても、ずっとそのパーティに身を置くことはしなかった。
 そして、冒険の旅から返ってくると、洗いざらしの服を着て、二つの匂いをさせながら冒険譚をユウナに語ってくれるのだ。
 幸せな、記憶。
 家族と言えば、ユウナには幸せな記憶しかない。
 だけど現実を見渡せば、〈ゼロの災厄〉の脅威に怯える世界で、沢山の人たちが家族を失っている。
 二年後にやってくる〈ゼロの災厄〉。そして、先の〈ゼロの災厄〉の残滓。
 世界中のあちらこちらで、魔族に殺される命があり、家族を失う者もいる。
 そうして、その魔族たちから世界を守ろうと立ち上がった冒険者たちもまた、家族を抱えていた。
 両親の健在を喜んでいられる日は、いつまで続くだろう。
 ユウナは不安に眉を顰めた。
 それと同時に、自分が両親を悲しませる日が来るのではないかと思えば、泣きたくなる。
 守りたい人が、助けたい人がいる。
 その為に戦うことを決意して、命を落す覚悟も決めているけれど。出来れば、家族を悲しませたくはない。
『帰って来るんだよ』
 両親の元を離れ旅立つときに、小指を掛け合わせて、ユウナは二人と約束の儀式を交わした。
 その約束が果たされない日が来ることを考えると、ゾッとする。だからというわけではないが、魔族と戦わずに済むなら、それでいいような気がする。
(でも、それは……)
 風呂場を出て、あてがわれた客間へと戻る途中、ユウナは居間で独り佇むルセニアの姿に足を止めた。
 親友を魔族に殺されたルセニア。夫を、父を殺されたアンナとスタンの母子。
 グエンは親がいないと言った。何でいないのか、詳しいことは聞けなかったけれど。魔族と関係があることなのかもしれない、と推測する。
 グエンが剣を握り、冒険者を目指したのはそこら辺りの事情があってのことではないだろうか。
 ふと、ユウナは夕食のときのことを思い出す。
『アンナ殿は、カネリアと言う魔人の存在をどのようにお考えで?』
 村とカネリアとの関係を語って沈黙したアンナに、サーラが問いかけていた。
 アンナはスタンを見つめて、そっと囁く。食事によりお腹を膨らませたスタンは、ユウナたちがカネリアについての話をしているうちに、意識を眠りへと手放していた。
 こくり、こくり、と。首を前後に振る子の肩に手を置いて、アンナは小さく笑った。
『私はスタンがいれば、それだけで』
『本当に?』
 重ねてグエンが問いかければ、アンナは瞳を揺らした。
『……もしも叶うなら、スタンがずっと笑っていられる未来を……あの人が望んだように』
 そんなことを願うのは罪だと言いたげに、声を潜めて囁くとアンナは目を伏せた。
 肩に置かれた手のぬくもりに気づいたのだろうか、スタンが目を覚ます。
 ごしごしと、眠たそうに眼をこすっているスタンにユウナが目を向けると、視線に気付いた少年がニッコリと笑顔を返してきた。
 守りたいと思う笑顔。
 それを前にすれば、魔族との共存に答えを求めようとする自分の考えに迷いを覚えたのを、思い出した。
(でも、本当に……いけないことなのかな?)
 夜の闇を睨むようにして、外を見つめるルセニアの姿を見つけても、ユウナはまだ答えを見出せない。


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