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 ― 7 ―


 ロウソクの明かりを反射させた窓ガラスは、鏡のようにルセニアの顔を映していた。
 気泡を含んだ分厚いガラスに歪んで映る端整な顔立ちは、緋色の瞳を細め、暗がりを見据えていた。
 耳元、微かに獣の遠吠えが聞こえる。
 この家は森から随分外れていたが、それでも獣たちの声が聞こえてくる。
 漆黒の闇を微かに裂いて響いてくるその声は、何かに対して威嚇するような気配を感じさせる。
 ……一体、何に怯えているのか。
 片目を眇め、答えを脳裏から探り出そうとした瞬間、ルセニアは黒い闇の中に咲く白い花を見つけた。
 肩越しに振り返れば、ユウナがこちらを見上げ、話しかけるタイミングを伺っていたようだ。
 目が合うと、少年は――少年と聞かされたが、やはり少女ではないかと思わせる、花のような可憐な面立ち――少し驚いたように長い睫を瞬かせた。
 そうして、我に返ったように礼を口にする。
「あの、お湯を使わせて頂いて、ありがとうございました」
 深々と頭を下げるユウナの淡い茶色の髪から、石鹸の清潔感に溢れた香りがした。
「いや、構わない。宿を提供すると言ったのは私だから。それにしても、済まなかった。放り出すような形で。アンナ殿が気を利かせて夕食を用意してくれたから良かったものの」
「あ、大丈夫ですよ。それより、ルセニアさんの用事は……」
 そこまで口にして、ユウナはそれを問い質して良かったのかと迷うように、眉を下げた。その面差しは水分をなくし、しおれる花のようだ。
「……大体のことは、アンナ殿に聞いたのだろう」
 尋ねれば、少年は小さく首肯した。
「茶を淹れよう。せっかく温まった身体が冷めてしまっては、しょうがない」
 窓辺を離れて、ルセニアは台所に向かう途中、ユウナにテーブルに着いているように示した。少年は大人しく、それに従う。
 一番年下だからなのかもしれないが、グエンとサーラに気を配っていたのを思い返せば、ユウナという少年の本質が見える気がした。
 周りに気遣い、決して自らの存在を主張したりしない。
 そんなユウナが、冒険者を名乗ることにかすかな違和感を覚えなくもない。
 茶を注いだ小さな陶器の碗をユウナの前に置く。すると、ユウナは可憐な花のような笑顔で、応えた。
「ありがとうございます」
 その笑顔を目にすれば、何故か、心が緩んだ。
「いや。あまり美味くはないので、礼など言わないでくれ」
 淹れ方一つで、茶の味は驚くほど変わる。アンナが淹れてくれた茶は香り豊かで、いつもルセニアを感動させてくれるのだが、生憎と自分で淹れた茶は不味くもないが美味くもなかった。
 そっと苦笑するルセニアにユウナも笑って、それから少年は決心したように声を吐き出した。
「……カネリアさんのお話を聞いてもいいですか?」
 ほんの少し解けかけたものが、ギュッと引き締められるのを感じる。
 張り詰められた糸が切れかけそうな緊張感に、ユウナの真摯な表情。
 心が、指先が凍えていくような錯覚に、ルセニアは喘ぐように息を吐いた。
 答えを出してしまえば、止めることは出来ない。
 そう、わかっている。
 だが、いつまでも引き伸ばしに出来るものではないこともまた、ユウナも感じていたのだろう。
「何が聞きたい?」
 数秒の間を置き、鼓動を静めて、ルセニアはユウナに目を向けた。
「カネリアさんは……この村にとって、どんな存在なのですか?」
 杏色の大きな瞳は真っ直ぐな視線で、難しい問いをしてくれる。
「ユウナ殿はアンナ殿から話を聞いて、……カネリア様のことを、どのように感じた?」
 ルセニアは苦笑して、ユウナに問い返すことで自らの意見を後回しにした。
 一瞬、カネリアの名を口にする際に、間があったのは、彼女を呼び捨てにして良いのかどうか迷ったからだ。
 ルセニアの中では「カネリア」と呼び捨てることに、抵抗はない。
 だが、それをそのまま口にすることに迷いを覚えるのは、彼女の存在が村の中でも微妙であるからだろう。
 彼女の存在を恐れる感情は、村人たちの間にも根深く息づいている。
 その中で、テッドのように反感をむき出しにする者もいれば、触らぬ神に祟りなしとでも言うように、彼女を崇め敬うことで、自らの恐怖をねじ伏せて平穏が壊れることがないようにと息を殺す者もいる。
 そのような者たちを前にすれば、気安く「カネリア」と呼ぶことも憚られた。
 彼女の逆鱗に触れ、制裁を受けるのが村全体へと広がれば……。
 カネリアにそれだけのことが出来ることは、切り崩された山と瞬時に灰になったテッドの惨劇が物語っていた。村人誰もが、彼女の絶対的な魔族の力を知っている。
 カネリアに対する反感の意思は、そうして村人によって、カネリアの耳に届かないようにされ、諌められる。
「……魔人は……」
 ユウナの説明に耳を傾ければ、人と姿形を同じにした魔族を魔人と称するとのこと。獣型は魔獣、鳥型は魔翼鳥。肉体を持たない者は魔霊。
 魔族とは〈ゼロの災厄〉に乗じて、異界からやってきた来訪者を総じて称する言葉らしい。
「魔人は人と同じように、秩序を作りたがります。それは人とは違う、魔人本位のもので、魔族の間に支配関係を作る。その中で魔人たちは、自らの力を示し、国を支配し、人を奴隷と化す」
 魔人一人でも、その力は人間が持つ力に比べ、絶大だという。
 しかし、それは魔族の中に混じってしまえば、個々の差は大きくはない。
 だが、格差は作られる。
 その差が支配力。魔獣や魔翼鳥と群れること――もしくは、支配し動かすことで――他の魔人との個別化をはかる。
「魔人たちは力によって、一種の貴族階級のようなものを作るんです。より多くの魔人を従えた魔人が、王になり貴族になります」
「ああ」
「だから、大抵の魔人は横柄なんです。自らかしずく相手以外、頭を下げることないんです。そうして、人間を見下して、人の命を何とも思わないから……」
 ユウナは苦しそうに声を吐き出した。
「…………町を焼き払って、人を支配して、殺すんです」
 沈鬱に歪む表情を見れば、ユウナが立ち会ってきたであろう凄惨な現場が目に見えるようだった。
「……だから、スタン君のお父さんがカネリアさんに殺されたと聞かされたとき、やっぱり魔族は誰も同じなのかと……思わざるを得ませんでした」
 顔を伏せたまま、ユウナが呟くように続けた。
「最初……この村に足を踏み入れたとき、とても平和に見えたんです」
「……そうか」
「平和な町は、そんなに珍しいというわけではありません。特に、この東の大陸は先の〈ゼロの災厄〉の被害が少なかったから、魔族の被害を受けている町のほうが珍しい。だからこそ、魔族がいて、とても平和なこの村にビックリしました」
「…………」
 ルセニアは、ユウナが語る魔族がいない平和な町というものを見てみたい衝動に駆られた。
 その町の光景を目にすれば、この迷いに決着を付けられるのでないかと、思うのだ。
 何に縛られるでもない、自由な笑顔。抑圧されることなく発せられる、快活な笑い声。
 テッドが望んだ未来。
 それが実際に、目の前にあることを確認すれば、カネリアを悪と見なすことも容易で。
「もし……魔族と共存できるなら、それはとても幸せなことだと僕は思います」
「しかし、この村の在り方は共存と呼べるようなものなのだろうか?」
 ルセニアが問いかければ、ユウナは微かに首を振った。
「……村の人の意識は違うんですね。カネリアさんを恐れている」
 鐘の音が、村人にカネリアの存在を思い出させる。
 忘れることを許さぬその音が、村人に与える恐怖は村で生きている人間にしかわからない。
「……何も知らなければ、平穏に見えるかもしれない。だが、この村の人間は皆、……カネリア様を恐れているからこそ、平穏を装っているのだろう」
 彼女を崇め奉ることで、保たれる平和が唯一のものだと信じて。
「……でも、そんな偽りの平和でも……魔族の襲撃を受けた人たちからすれば、幸せなんです」
 顎を上げたユウナが、ルセニアを杏色の瞳で見つめる。そうして、答えをはぐらかしているこちらの真意を問い質すように、告げた。
「それでも、カネリアさんは排除すべき存在なんですか?」
「…………」
 返す言葉に躊躇した。間が空くこと自体、ルセニアの迷いを証明するものだ。
 しかし、違う、と首を振れる気力もまた、ルセニアにはなかった。
「…………正直、私には……カネリア様をどう扱っていいのか、迷いがある。それでも……村を預かる者として、私は村人のことを第一に考えなければならない」
 ……あの時。
 ルセニアは、自らの失敗を唐突に自覚した。
 ……テッドが殺された、あの時に。
 カネリアを責めていれば、良かった。
 灰に変わるテッドを前に、踵を返したカネリアの背中を呆然と見送るのではなく。
 責めて。
 怒って。
 そうして、彼女の反感を買って、自らの命を危険に晒しても、殺されてしまったとしても。
 ――あの瞬間、あの時に。
 カネリアの真意を問い質しておくべきだったのだ。
 彼女がルセニアもまた、灰に変えていれば……。
 言い訳の一つもこぼせば……。
 そうしたら……。
 迷いは一つもなかった。迷うことなんてなかった。
 だが、彼女の真意を知るにはもう遅い。
 八年という月日が流れてしまった今、カネリアはテッドのことなど忘れているだろう。
 彼女があの時、テッドを罵った「痴れ者」という言葉が、一時的なものなのか。それとも、自らに反抗する人間全てに対して、向けられたものなのか。
 そして今、命を賭してカネリアに真意を問い質すのであれば、村を守る者としてでなければ、ルセニアとしては動けない。彼女の怒りがそのまま、村を灰に変えるかもしれないのだ。
 ならば、どちらにしろ……。
 …………ああ、そうなのか、と。
 ルセニアは胸に引っ掛かっていた迷いに、決着する方法を見つけた。
 カネリアの真意を探る方法は、一つだ。
 実に簡単な、方法。
 もしも、彼女が人間に対して寛大な心を持っていたのなら……。
「ユウナ殿、頼みがある」
 ルセニアは迷いを断ち切って、少年を見つめ告げた。
 そして、ルセニアの口から出た言葉を聞いて、ユウナは驚きに大きく目を見開いた。


                   * * *


「……た……のならば……」
 掠れた声を整えるように、間が置かれた。
「――――カネリアを殺してくれ」
 そうして、ドア越しに届くルセニアの声を聞けば、ユウナが悲鳴染みた声を上げていた。
「――どうしてっ?」
 瞬間、ドアの前に立つグエンは背後から突き飛ばされた。
 背中を突かれ、ドア板に顔面から突っ込む。そして、ドア板に弾き返されよろめいたグエンの横面に、サーラの肘が入る。
 まさか、サーラにそんな仕打ちを受けるとは思っていないものだから――過去、サーラからどれだけ酷い仕打ちを受けていようと、仲間なのだと信じたい故に――無防備だったグエンはあっけなく床へと倒れ伏す。
 倒れたグエンの背中を踏みつけて、廊下を横切ったサーラは、派手な音を立ててドアを開くと、居間へと乗り込んで行った。
 グエンはドアと床に打ち付けた額を撫でつつ、背中を踏みつけられた痛みを堪えつつ、起き上がる。
(…………俺って、石コロ以下デスカ?)
 じわりと滲み出た涙が瞳からこぼれそうになるのは、痛みのせいだけではないだろう。
 グエンが目元をグイッと拭って居間に入れば、サーラは椅子を倒して立ち上がりかけたユウナを制して、ルセニアに向かって淡々とした声を吐いていた。
「――その依頼、お引き受けします」
「サーラさんっ?」
 ユウナが驚愕の表情を浮かべて、サーラを振り返る。その言動が信じられないと、言いたげに杏色の瞳は困惑の色を湛えていた。
 そんな杏色の瞳に、サーラは薄紫色の視線を返しながら言った。
「ユウナ、私たちは冒険者です。冒険者が、魔族に対抗するための剣であるのなら、私たちはルセニア殿の頼みを断れません」
「…………でも」
 反論しようと口を開きかけたユウナに、グエンは声を掛けた。
「ユウナちゃん。姫を信じて」
「……グエンさん」
「そして、俺を信じて」
 願いを込めて、語りかける。
 ――信じて、と。
 ユウナを傷つけないために、沢山の嘘をついてしまうグエンだが。
 そして、サーラは自らの信念を守るために、ユウナすら切り捨てる覚悟を決めているが。
 ユウナが未来を信じて歩く道を、共に歩くと決めたときから。
 ――俺たちは、仲間だから。
 思いは一つだから。
 目指す道は、何も変わっていないのだから。
 ――信じて欲しい。
(……全部を晒せない俺だけど)
 ユウナには、笑っていて欲しい。前を向いていて欲しいと、願う気持ちに偽りはない。
 藍色の瞳でじっと見つめれば、ユウナは躊躇いがちに頷いた。


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