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 ― 8 ―


 ――信じて。
 サーラを。そして、自分を信じて欲しい。
 そうグエンに乞われ、ユウナは少しの間を置いて、ぎこちなく首を前に倒した。
「……はい」
 頷けば、ホッとしたようにグエンが笑う。
 ユウナの肩に置かれていたサーラの手に込められていた力もまた、僅かに弱くなった。
 様子を伺うように肩越しに彼女を見上げれば、薄紫色の瞳は静かにこちらを見下ろして、微かに揺れた。
「……サーラさん」
「ユウナ、部屋へ戻りましょう。疲れましたでしょう、身体を休めなければ」
 手を握られ、サーラに導かれるままに、ユウナは居間を出る。ドアを閉じるサーラが室内へと残るグエンに声を掛けるのをボンヤリと聞く。
「私たちは先に休んでいます。グエン、後のことは任せました」
「うん。俺も直ぐに、そっちに行くよ」
 閉じられるドアの隙間で、グエンがルセニアに対して口を開くのが見えた。
 だが、ドアが視界を完全に塞げば、ボソボソと何かを喋っているのが聞こえるが、会話として把握することは難しかった。
「ユウナ」
 サーラの声に意識を持っていかれ、ユウナは手を引かれるままに客間へと戻る。そうして、寝台の上に腰を下ろしたところで、サーラが毛布を肩に掛けてくれた。
 身体を包んだ柔らかな温かさに、ユウナは我に返った。
「……あ、あの」
 見上げればサーラは静かに視線を返してきた。
 何をどう口にすればいいのか、ユウナは薄紫色の瞳を前に迷う。
 信じて、と言われて頷いた。
 サーラとグエンが導いた答えに、疑うとか間違っているとかの判断は、ユウナには出来なかった。
 前に、二人の意見に反発して暴走した結果、間違っていたのが他ならぬ自分だったという経験がある。
 視野が狭い自分に対して、グエンもサーラも冷静に周りを見ていれば、ルセニアの頼みに驚くことしか出来なかった自分に何が言えるのか。
 きっと、二人には自分に見えていないことが、見えているのだろう。
 カネリアのことも、この村が抱える問題も。
 子供染みた思想で、争わずに済むのならば、という安易な考えで共存を求めようとする自分よりもずっと。大局を見極め、一番良いと思われる選択を下すのだろう。
 ならば、教えて欲しい。
 二人は、どういう考えから、ルセニアに協力しようとするのか。
 ――そう、問いたいのに。口から言葉が出なかった。
 二人に見えているはずのことが、自分に見えていない。それが何だか、情けなくて言葉に詰まる。
「…………っ」
「ユウナ、私を信じてくださり、ありがとうございます」
 俯いたユウナに、サーラの声が羽根のような柔らかさで降ってきた。
 いつも、淡々とした抑揚のない、無感情な声音で喋るサーラに、ユウナが驚いて顔を上げれば、身を屈めたサーラが薄紫色の瞳で目線を合わせてきた。
「そんな、だって」
 礼を言われることなんて、何一つもない。仲間を信じるのは、当然のことだと口を開こうとするユウナを遮り、サーラは告げた。
「ユウナ、私はユウナの望みを知っているつもりです」
「……僕の望み……?」
「ユウナはカネリアと言う魔族を殺したくはないのでしょう?」
「……あ、……でも」
 ――カネリアを殺してくれ。
 そう吐いたルセニアの声を思い出して、ユウナは唇を噛んだ。
 その頼みを、サーラは引き受けると言ったのではなかったか?
 杏色の瞳で訴えれば、サーラの白い手がユウナの手に重なった。絹のようにきめ細やかな肌の柔らかさを指先に感じる。鬱屈した感情が溶けるような気がした。
「そして、ルセニア殿を死なせたくもないのでしょう?」
 静かな問いかけに、ユウナはアッと息を漏らす。
「大丈夫です、ユウナ。私がユウナの願いを叶えましょう」
「サーラさん」
「誰もが傷つかずに済めば、それがいい。ユウナの考えに、私も同意します」
「僕の考えは……子供っぽくないですか?」
 今の世の中に、この考えは理想論でしかないような気がする。
 カネリアが力を振るわずとも、魔族という存在の前に震え上がってしまう村人たち。
 抑圧される精神は、平穏に見える中で徐々に蝕まれて自壊する。何ものにも縛られない自由を求めれば、カネリアの存在は邪魔でしかない。
 スタンの父親が、そうしてカネリアに凶刃を向けたように。
 いずれ、堰が壊れれば……。
 また、同じように凶刃がカネリアを襲うだろう。そして、今度はカネリアも怒るかもしれない。
 緊張の糸は張り詰められ、後は切れるのを待つばかり。
 崩壊の兆しは、ルセニアの決断からも伺える。
 決着を付けたいとするルセニアに対し――彼の意は、村の総意と取るべきだろう――今の状態を維持し続けろと願うのは、酷だとわかっている。
 わかっていてもなお……殺しあわずに済むのなら。
 俯いたユウナに、サーラは冷ややかに声を響かせた。
「確かに子供っぽい、理想論ですね」
 思わず振り仰げば、薄紫色の瞳がヒタリとユウナを見据えて続けた。
「ですが、覚悟もなしに理想を語っているわけではないでしょう?」
「……はい」
 言葉を噛みしめて、喉の奥から声を吐き出した。
 大切な人たちを守りたくて、助けたくて。命を落す覚悟をして、魔族を倒す旅をしている。
 それでも、両親を悲しませるのは嫌だと思った。
 ――だから、平和に暮らしていけるのなら、と。
 ――誰一人、命を失わずにいられるのなら、と。
 ルセニアにカネリアとの共存を打診した。けれど、それは自分の命が惜しくなったからではない。
 わかり合える可能性を潰したくなかったから。
 カネリアとなら、共存が可能だと思えたから。
 後一歩、村人たちがカネリアへの恐怖を克服すれば、それが叶うと信じられたから。
 サーラの瞳を真っ直ぐに見返せば、彼女はいつもの揺るぎのない声を淡々と響かせる。
「でしたら、子供っぽい理想論でも恥じることはありません。理想は高くとも、その為の努力を惜しまなければ、実現は可能でしょう」
「……出来ると思いますか?」
「ユウナが諦めなければ、私はどこまでも協力しましょう。ユウナのために」
 重ねた手のひらを強く握って、サーラが力強く断言する。
「あっ、ありがとうございます、サーラさん」
 自分にはこんなにも力強い仲間がいることが嬉しくて、ユウナは破顔した。
「ユウナが私を理解してくれたからです。だから、私はユウナが思う未来に私の力を預けることを決めたのです」
「……僕が思う未来」
「大切な人を守る未来――ユウナは、私が守ります。信じてください」
「はい、信じています。サーラさんも、グエンさんも」
「あの男は信じるに値するとは思えませんが。第一にリーダーとして頼りがいがない」
 グエンの名前を口に出すと、サーラが微かに眉間に皺を寄せて毒づいた。
「……そんな」
 ――そんなことはないですよ、グエンさんは頼りになります、と。
 ユウナが反論しようとして口を開きかけたそのとき、サーラの肩越し、開いたドアの向こうで、ハラハラと涙を流すグエンの姿を――ルセニアとの話を終えて戻ってきたらしい――発見して、言葉に詰まる。
 藍色の瞳から、滝のように滂沱たる涙を流すその姿を目にする限り、頼りに出来るとは言いきれないような……そんな気がしてしまうのが……悲しい。
 ふと、サーラがユウナの視線を追いかけて背後を振り返れば、グエンがごしごしと涙を拭いながら慌てて叫んだ。
「泣いてないよっ!」
「平気で嘘をつく男を信じるのは、ユウナ。如何なものかと思いますが?」
 しらけた視線でグエンを睨んで、サーラは言う。
 ユウナは返答に迷った。


                     * * *


 張り詰めた弦を指で弾いて、ルセニアは弓の具合を確かめた。
 そうして、無人の家で時を待つ。
 別行動すると言った三人の冒険者たち一行を見送って、数時間が過ぎただろうか。
 村が茜色に染まるころ、夕餉に賑わう村の空気を裂いて、鐘の音がルセニアの耳に割り込んできた。
 最初の音が耳に触れた瞬間、ルセニアは椅子を引いて立ち上がった。弓と矢筒を腰に装備して、灰色のマントを纏う。ふわりと空気をはらんで舞い上がったマントが、落ち着くのを待って、踵を返して家を出た。
 夕刻の鐘を鳴らすと同時に、カネリアの身の回りの世話をする女たちは村へと帰る。
 カネリアとルセニアの面談を邪魔する者は誰もいない。村を預かる者として、誰かを巻き込むわけにはいかない以上、カネリアの屋敷が決着の場に相応しいだろう。
 鐘の音の余韻を残す村中を、ルセニアは丘の中腹に在る屋敷へと向かった。別行動しているユウナたちも、鐘の音を合図に動いているはずだ。
『――本当にいいんだね?』
 カネリアを殺してくれ、と依頼した夜。打ち合わせを終えて、部屋に戻るというグエンが居間のドアを開けた姿勢で、念を押すように問いかけてきた声が、耳元に蘇る。
『――ああ』
 そう答えることで、ルセニアは覚悟を決めた。
 この身を以って、カネリアの真意を質そう。そうしなければもう、カネリアと顔を合わせることすら、苦痛で仕方がないのだ。
 彼女の心がどこにあるのか、腹の底を探るように、彼女の言葉一つ一つを疑ることも。
 薄っぺらな声で、彼女に応対することも。
 何もかも、終わりにしたい。
『これは、俺の興味からの質問なんだけど?』
 グエンが首を傾げて、言ってきた。
『アンタは――殺したいのか?』
 真っ直ぐに突きつけられたその問いに、ルセニアは言葉に詰まった。
 言外に、もう一つの言葉があったからだ。
 藍色の瞳は、こちらの心の奥底、深淵を覗きこむようにして、ルセニアに言葉にならない問いを投げてきていた。
 その視線を前に、ルセニアは心が見透かされた気がした。
 カネリアとの決着をつける、つけない以前に――。
 選択出来ない自分がいるから――ならばいっそ、と思う自分がいる。
 カネリアがそちらの答えを選んでくれることを、願う自分がいる。
『馬鹿げた質問だな……。答えはわかりきっているだろう……でなければ、君たちにあんな依頼をしない』
 視線をそらしつつ、ルセニアは言った。
『馬鹿げたか。……ねぇ、魔族との共存も、馬鹿げた夢物語だとアンタも思う?』
『……夢物語だろう。人が人である限り、魔族を受け入れることは出来ないだろう。私はそれを身近に感じて知っているからこそ、君たちにカネリアの始末を頼んだ』
『人が人であるなら、か。……じゃあ、人ではないものは、この世界に存在することすら許されないのかい?』
 グエンの言葉に視線を戻せば、青年は藍色の瞳を細めた。虹彩に一瞬、剣呑な色を見た気がして、ルセニアは戸惑いを息と一緒に飲み込んだ。
『…………』
『もしも、魔族の存在を受け入れる人がいたなら、その人もまた、この世界に存在しちゃいけなくなっちゃうな』
 何も言えないルセニアを嘲笑するかのように、グエンは唇の端を持ち上げた。
 それがユウナを否定することになるのだと気付けば、ルセニアの心がチクリと痛んだ。
 かの少年の思想を否定する気はないが、ユウナが唱える理想が実現するのに難しいことであることを身に染みてわかっているから。
 ルセニアは黙って、目を伏せるしかなかった。
 そうして自分もまた、この道を選ばざるを得なかったことを骨身に染みさせた。
『俺はそんな世界はゴメンだけどね』
『……変えられると思うのか、そんな世界を理想郷へと?』
 ゆっくりと視線を上げて、ルセニアは黒髪の剣士に問う。この若い剣士は、まだルセニアが生きた半分の年月しか生きていない。
 知らないことが多いから、大言壮語も吐けるのだろうか。
 それとも、自信があるのか?
 ユウナとサーラとグエン。この三人なら、変えられるという自信が。
 だから、彼らはルセニアの依頼を引き受けたのだろうか?
 カネリアがもう一つの答えを選ぶことを確信して?
 しかし、どこにそんな保証があるのだろう。長年付き合ったルセニアですら、カネリアの真意を把握出来ないというのに。
『直ぐには無理だろうけれどね。変えようと思って、変えられないことはないんじゃないの? 諦めさえしなければ――そう。俺と姫はね、他の誰よりもユウナちゃんの強さを信じているんだよ』
 そう言って、グエンは笑う。その笑顔の誇らしげな様子に、ルセニアは言葉を返せなかった。
『…………』
『まあ、とやかく言っているけど、人間と共存したいという魔族がいたらの話だけどね。魔族が人間と敵対するならば、俺たち冒険者も戦わざるを得ないさ』
 グエンは軽く笑いながら肩を竦めると、パタンとドアを閉じたのだった。
 昨夜のことを反芻し終えるころ、ルセニアはカネリアの屋敷前に到着していた。
 村に不釣合いな豪奢な建物を見上げて、ルセニアはそっと唇を動かす。
 声にならない声が告げるのは、確認だった。

「……私が殺されたのならば――カネリアを殺してくれ」

 それが、ユウナたちに持ちかけた依頼の条件だった。


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