― 9 ― 昼間、ルセニアの家を出たユウナたちは、夕刻、村人たちの目を盗んでカネリアの屋敷へと侵入を試みた。山の手側から近づいて、塀を越えればすんなりと敷地内に入れた。 「結界を用意してあるかと思いましたけど」 あっけないほど、簡単だった侵入にユウナが戸惑いながら呟く。 魔族も魔法を使う。その魔力の桁は人とは比べ物にならなければ、屋敷全体を覆う結界を常時維持することもそう難しくないだろう。 なのに、この屋敷を取り囲むのは村と変わらない穏やかな空気。 警戒する必要がないから、無防備なのか。それとも何かあっても、魔族の能力を持ってすれば対処出来るという自負の現われか。 ユウナは白壁の屋敷を見上げる。 「恐らく、カネリア殿には人間と争う気はありません」 サーラは侵入の際、僅かに汚れたマントの埃を手のひらでハラリと払って、冷ややかな声を響かせた。 「……え?」 目を瞬かせながら、サーラの横顔を見上げてから、ユウナはそれを確信していた自分を思い出した。 (そうだ。……だから、僕は) カネリアが魔族の能力を見せたのはバゼルダ村を最初に訪れたときと、己の身を守るためと。 その二回しか、カネリアは魔族の能力を振るってはいない。 彼女には村人を支配する気がない――もしかしたら、村人たちが勝手に恐れていることを逆手にとって、支配した気になっているのかもしれない。しかし、ルセニアに村のことを一任しては口出しする様子がないことを見れば、やはり、サーラの言うとおり、カネリアは争う気などない。 (……そう思いたいのは、僕の願望かもしれないけれど) 「それに第一に、この村の人間にはカネリア殿を排除しようという気概を持った者はいない。いたところで、一人二人では、相手にもならないでしょう」 だから、結界を張る必要はない。 壁は何一つないはずなのに、カネリアと村人たちの間にあるものが、心を遠ざけるのか。 その狭間で、ルセニアはどちらに付くかで迷い、「私が殺されたのならば、――カネリアを殺してくれ」と、自らの死を賭けるような真似をするにいたるまで、歪みは酷くなっていく。 どうすれば、この歪みを正せるのか、ユウナにはわからない。だけど、ルセニアもカネリアも死なせたくはない。 はやる気持ちで前屈みになるユウナの肩をグエンが掴んだ。 「大丈夫だよ、ユウナちゃん。カネリアにはルセニアを殺せないさ」 「……グエンさん」 「そして、ルセニアもカネリアを殺せない。だから、俺たちに依頼したんだ。自分には殺すことが出来ない――それは能力云々じゃなくて、感情的に出来ないんだよ」 ルセニアはカネリアの存在を持て余していた。 『…………正直、私には……カネリア様をどう扱っていいのか、迷いがある。それでも……村を預かる者として、私は村人のことを第一に考えなければならない』 そう言ったルセニアの言葉が、全てを物語っている。 村人の感情を考えれば、カネリアを排除する選択を選ばなければならないから――だからこそ。 ルセニアは自らの命を賭けたのだ。 カネリアの怒りを買うことで、所詮、魔族と人は共存出来ないのだと――ユウナたちを動かすために。 何もかもを投げて、諦めて。 現実から目を瞑って、心を殺して、息を止めて。 友人であったテッドに忠義を尽くすために、死を選ぼうとする。 (……でも) ユウナはグエンの横顔を見上げて考える。 ルセニアがカネリアを殺せない――それはわかる。だが。 どうして、グエンは「カネリアにはルセニアを殺せないさ」と、確信を持って言えるのだろう。 カネリアは自ら望んで人間と敵対する意思は見せていない――しかし、己に牙を剥く者には容赦しない――テッドのことを思い返せば、ルセニアの安全は確約出来ないのではないだろうか。 不安に唇を噛んだユウナに、グエンが藍色の瞳を返しては、笑う。 「カネリアには殺せないよ。絶対に」 「どうして、そんな……」 「――カネリア殿はルセニア殿の、母親です」 耳元に届いたその事実に、ユウナは目を見開いてサーラを振り返った。 「――えっ? さ、サーラさんっ?」 驚愕するユウナを前に、サーラは淡々と告げる。 「魔族でも親の情はあるでしょう。ルセニア殿を頻繁に傍に呼んでいることから見ても、カネリア殿はルセニア殿に目を掛けているのは歴然。ルセニア殿を害することはありません」 「――息子?」 サーラが断言するそれを、ユウナは理解出来なかった。問い返す声にサーラが首を頷かせても、何かの冗談かと思ってしまう。彼女が、軽々しく冗談を口にする性格ではないとわかっていても。 混乱するユウナに、グエンが説明した。 「ルセニアの年、四十だって言うけれど、どう見たって俺と変わらないように見えるよね?」 「……あ、はい」 グエンの言葉に、ユウナは蜂蜜色の髪と緋色の瞳の、痩身の青年の姿を思い返した。 ルセニアがグエン並んでも、そこに二十年の、年の差は感じられなかった。ただ、落ち着いた雰囲気から、二、三歳、年上かと思わせるぐらいだった。 「魔族は大体、二十歳ぐらいまでは人間と同じ速度で成長するらしいよ」 「……でも、だからって、ルセニアさんが魔族だなんて」 「魔族と言うより、半魔だよ」 「――半魔?」 「半分、魔族です。ルセニア殿のお父上、フラン殿は人間ですから」 サーラがまるで見てきたような口調で述べた。ユウナはサーラとグエンを交互に見やり、口を開きかけては閉じる。 この二人は、どこからそんな事実を持ち出してきたのだろう? 「ユウナちゃんは知らないから、わからなくて当然なんだけどね。人間の女の人には魔族の子は生めない。母体が持たないんだ」 初めて聞く事実に、ユウナは息を呑む。 「ルセニア殿の奥方が、死産でお亡くなりになったという話を、ユウナは覚えていますか?」 サーラの問いかけに、ユウナはアンナの話を思い出した。彼女の妹であり、ルセニアの妻であったマリーという女性は、腹にルセニアの子を宿したが……。 ――腹を破裂させて、母体共々、死産となったと。 「……それが」 「それが、ルセニア殿に魔族の血が流れていることを示します」 淡々と、決定事項のように告げるサーラの声が耳を撫でる。 「でも、人と魔族との間に子供が生まれないのならっ!」 「ユウナちゃん、人間の女の人には魔族の血を腹に宿すことは出来ないけどね。魔族の女には、それは当てはまらない」 「……ルセニアさんが、魔族と人との間に生まれた……半魔? カネリアさんの息子?」 「……そう。だから、カネリアにはルセニアを殺せないよ」 「じゃあ、ルセニアさんは何で、カネリアさんを殺してなんてっ!」 「ルセニア殿は、ご自分に流れている血を知らないのでしょう。己の中に、魔族の血が流れているなど。知っていれば、人との間に子を作ろうとはしなかったでしょうし、カネリア殿を殺そうなどとも考えやしなかった筈です」 「……知らない?」 そんなことがありえるのだろうか? と、ユウナは考える。 ルセニアが魔族の子であると考えるより、二人が語るこの仮設が冗談であるような気がする。 「カネリア殿はルセニア殿の為に、己が母親であることを名乗らなかったのだと思います。この村は一見、魔族と共存しているように見えますが、村人の心は魔族を否定しています。そこへ、魔族の血を継いだ子供が、何の弊害もなく受け入れてもらえると思いますか?」 薄紫色の瞳が静かにユウナを見据える。その冷ややかな視線が、ユウナに答えを突きつけていた。 ユウナは言葉を紡ごうと試みるが、声が出せなかった。 「…………」 「だから、カネリア殿は父親であるフラン殿に、ルセニア殿を預けた。そして、フラン殿はルセニア殿を人間として育て――」 サーラの言を引き継いで、グエンが決定事項であるかのように、告げる。 「魔族の血を教えることなく、死んでしまった。だから、ルセニアは自分に魔族の血が流れているなんて知らない」 「……じゃあ、カネリアさんは、ルセニアさんが結婚されて、マリーさんとの間に子供が出来ることも黙認されていたんですかっ? 魔族の血を引いた子供が母体を死なせてしまうと、知っていて?」 マリーとその赤子が、見殺しにされた事実を前に、ユウナは顔を歪めた。 沈黙の代償が二つの命を殺してしまったと考えれば、やりきれない。 「……ユウナちゃん。それは言えないでしょう? 人間だって信じているルセニアに、これから幸せになろうとしているルセニアに、お前は魔族の血を受け継いでいるから、結婚するなって」 「――でも、みすみす死なせてしまうかもしれないのに?」 ユウナは絶望的な思いで、声を吐いた。 ここにもまた、魔族と人間を隔てる断崖があった。見えない壁を作っていた。 血を分け合いながら、事実を告げることが出来ない。その障害に、ユウナは目頭が熱くなるのを自覚した。 震えるユウナを前に、グエンが言った。 「でもね、死なない可能性もあったんだ。ルセニアは完璧な魔族とは違う。だから、もしかしたら子供は無事に生まれる可能性もあったんだよ」 グエンの言葉に、ユウナは涙が溜まった睫を瞬かせた。透明な雫が頬の上を転がる。 ……だから、カネリアは止めなかったのだろうか? 我が子の幸せの芽を摘む真似は出来ないと。そうして、見守り続けて……。 今もなお。 この高みからバゼルダ村を、ルセニアを――。 「ルセニアさんを止めなきゃ!」 ユウナは声を張り上げた。その声にグエンはびっくりしたように、目を丸くした。 「ユウナちゃん?」 「ユウナ。ルセニア殿には、端からカネリア殿を害する気はありません」 サーラの一言は、ユウナに冷静さを求めるような調子が合った。それを前にして、ユウナは頭を振った。 「違うんです。わかっているんです。ルセニアさんはカネリアさんを怒らせようとしているんだって。でも、その為に、ルセニアさんはカネリアさんに矢を向ける――」 カネリアに向かって弓を構えるルセニアの姿を想像して、ユウナはグエンとサーラを見上げた。 「それを止めなければ。お母さんに弓を向けるなんて、例え、それが真似事でも、駄目ですっ! それはきっと、カネリアさんを傷つけてしまうから」 我が子に矢を向けられて、傷つかない親はいない。 その矢が放たれることはないのだとしても。心には、傷を穿つ。 「だからっ」 ――止めましょう、と。 ユウナが唇を開きかけた、そのとき。 グエンがキッと顔を上げた。サーラがスッと身を引いて、ユウナの隣に立つ。 二人の反応に遅れながらも、ユウナが藍色の瞳の視線の先を追いかければ、二階のテラスの手すりに腰掛けた人影が見えた。 漆黒の衣装を纏ったその青年に、目を細めれば、 「――面白い話をしているな」 青年は低い声を吐き出して、テラスを蹴ると三人の前に、降りてきた。 地上からテラスまでの高さは、成人男性の三人分はあろうかというところ。それを階段でも一歩、降りるような軽やかさで、黒衣の青年は三人の前に着地する。 グエンが腰の剣を抜いて、ユウナとサーラを背中に庇う。 夕陽を受けて煌めく白刃を前にしても、青年は顔色を変えることなく距離を詰めて来た。 「――カネリアが人の子を生んだだと?」 青年の凍える蒼色の瞳と殺気のこもった低い声に、ゾクリとユウナの背筋が震えた。 |