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 ― 11 ―


 グエンは剣を握った腕を下方向から振り上げた。
 茜色の陽光を受けて煌めく白刃が迫れば、青年は腕を払った。
 ガンッと、金属がぶつかる音がして、グエンの剣は青年の手から延びた堅固な爪に阻まれる。
「魔族かよ?」
 拮抗する力に唇を噛んで、グエンは青年に対し苦い声を吐いた。
 間近で青年の姿に目を凝らせば、漆黒の髪の間から見える耳は尖っていた。人間と変わらない姿で唯一、魔人を見分けることが出来る身体的特徴だ。――生憎と、ルセニアの耳は長い髪に隠されていて、確認出来なかったが。
 半魔であるルセニアの耳が人間のように丸くても、不思議はなかっただろう。
「そういうお前は、冒険者か? もしや、リスラを屠ったのは貴様らか?」
 聞き覚えのある名を――ガリア王国の王城を襲った魔人の名だと、グエンは直ぐに思い出した――口にした青年の蒼い瞳がスッと細くなる。
「そうだと言ったらっ!」
 グエンは重心を落として、地面に片手をつく。それを軸にして、身体を回転させて足を払おうとすれば、魔人は地を蹴って身体を前転させた。
「虫を払ってくれた褒美をくれてやろう」
 笑いを含んだ声を響かせながら、宙で一回転して、グエンの背後に立つ魔人。
 彼を肩越しに振り返って、グエンは地面を転がり、青年が振り下ろしてきた拳を避けた。
 敷地内に敷かれた石畳を粉砕し地面を抉った拳の破壊力に、背筋が冷える。それをマトモに喰らったら、腹に穴が開くだろう。
 いくらこの身体が再生可能だとして、肉の半分を持っていかれても、大丈夫だろうか? と、グエンは頭に馬鹿な疑問を過ぎらせた。
 身を犠牲にすることより、傷つけないで済む方法を考えるべきなのに。
 立ち上がり苦笑を口の端に浮かべた顔を上向かせれば、魔人を間に挟んで立つサーラの薄紫色の瞳が動くのが見えた。
 瞬間、グエンは手にした剣を地面に突き立てると、頭から突っ込む形で魔人へとタックルを喰らわせる。
「<白銀の鎧>」
 身を包む硬質な魔力の気配に勇気を貰って、グエンは魔人の腕を掴むとそれを押し上げ、開いた胸元に自らの肩を叩きつける。
 そうして、グエンは声を張り上げた。
「ユウナちゃんっ!」
 刹那、ユウナが魔弾から解放した――ユウナは実戦では魔法を自由に発現出来ないために、魔弾と呼ばれる魔法アイテムを使用していた。そこに閉じ込めた魔法を状況に応じて、解放し操る――風の魔法が魔人とグエンの二人を巻き込んで、屋敷の壁へと叩きつける。
 崩れる石材を突き破って、グエンの背中は押された。しかし、身体に感じる衝撃はサーラの守りの魔法によって、完全に遮断されている。
 信頼関係があってこその戦法だ――これが出来る限り、サーラにどんな仕打ちを受けようと、グエンは自分が仲間であることを信じていられる。
 魔人の腕を掴んでいる手をそのままに、グエンはもう反対側の壁へと青年の身体を圧しつけた。普通の人間なら、圧死しているだろうが、魔人にどれだけの効果があるのか。それでも、動きを鈍らせるぐらいのダメージは期待して良いだろう。
 壁を破り、一部屋を横切って魔人を叩き付けた壁には、蜘蛛の巣のようなヒビが走っていた。パラパラと落ちてくる壁の破片と埃に、ざらつく喉。それに顔を顰めれば、耳元に驚愕の声が届いた。
「グエン殿っ?」
 肩越しに視線を向けると、驚きの表情を浮かべ、棒立ちになっているルセニアがいた。
「これは、何事だ?」
 そうして、ルセニアの声が叩いた鼓膜の反対側に響く、女性の凛とした声に目を動かせば、長椅子に横たわっていた女性が立ち上がる姿が目に映った。
 目を凝らせば、女性の緋色の瞳に、ルセニアと同じ色を見る。この女性こそが魔族でありながら、人間の子を生んだカネリア――ルセニアの母親だろう。
 その妖艶な容姿に一瞬気を取られた――魔族であるのだから、年齢は見た目以上である。だから、息子であるルセニアと同年代の姿をしていてもなんら不思議はないのだが。一瞬でその辺りの事情を飲み込みかねて――グエンは、肩を突き飛ばされた。
「――つッ!」
 体重がゼロになったようだった。弾かれるままに、身体が宙を飛んで対壁へと叩き付けられた。この部屋へと飛び込んでくるに辺り、穴を開けた壁の脇に背中から突っ込む。
 脆くなっていた壁が崩れ落ちてくるのを、腕を盾にして庇おうとした矢先、ふわりとした風が身体を包んだ。瓦礫は風に流されて、静かに床へと転がった。
「大丈夫ですか? グエンさん」
 開いた穴から顔を覗かせて、ユウナが問う。心配そうなその顔を見れば、グエンは笑顔を返していた。
「大丈夫だよ、ユウナちゃん。姫とユウナちゃんの魔法が守ってくれたからね」
「はい」
 ユウナが頷いて、花のような顔をほころばせる。
 そんな少年の脇にサーラが立って、薄紫色の瞳をグエンへと差し向けてきた。
「――忘れ物です」
 そうして、サーラが無造作に突きつけてきたのはグエンの剣だった。
 研ぎ澄まされた白刃が皮膚一枚のそこに、光っている。
「姫っ! 俺を斬る気っ?」
 グエンは額に汗を噴出させながら、サーラを振り仰ぐ。この身体は、人間にはあるまじき速度で、怪我を治癒してしまう。それをユウナに秘密にしているグエンにとって、ユウナの前では、すり傷すら負うことは出来ないというのに。
 それを、サーラも知っているはずだ。そして彼女もまた、この秘密がユウナに与える影響を憂慮しているはずではなかったか?
「貴方の鉄面皮を斬れる刃など、ないでしょう」
 何事もないような顔色で、視線を返してくると彼女は言った。その言葉の前に、グエンは泣き出しそうな顔で眉を下げた。
(例え、そうだとしても。……姫の言葉は、確実に俺の魂を削っているよ)
 気を取り直して、グエンは剣を一旦、腰の鞘に戻して立ち上がる。
 そして、反対側の壁から身体を引き剥がして、こちらへと一歩、乗り出してくる魔人に目を向けると、
「――ディアっ?」
 カネリアが魔人を目視して、声を荒げる光景が入ってきた。
 どうやら、この黒衣の魔人の名はディアと言うらしい。カネリアがその名を口にするからには、無関係ではないのだろう。
 グエンは、カネリアとディアとの関係を考える。恐らく、ディアというこの魔人は、カネリアへの求婚者か。
「――何の真似だ、ディア! 村の人間の前には、姿を見せるなと言っただろう? 契約を破る気かっ!」
 カネリアがドレスの裾を乱して魔人へと詰め寄れば、ディアは冷ややかな視線を彼女へと差し向ける。
「先に俺を謀っておいて、契約を口にするな。貴様、人間の子を生んだだと?」
「――なっ!」
「お前は殺さん。だが、人間の男の血を継ぐ魔族なぞ、手駒には要らん――汚点は消えろ」
 カネリアからディアの蒼い視線が動いて、ルセニアを捕らえれば、ディアの姿が一瞬掻き消えたように見えた。
 目を見張るような速度でルセニアに迫るディアの前に、グエンは立ち塞がって言った。
「お前の相手は、俺がしてやるっ!」
「リスラと同じに考えるなよっ!」
 武器も構えずに飛び込んできたグエンに、軽んじられたと思ったらしいディアが怒りもあらわに咆えた。
「お前こそ、人間を舐めるんじゃねぇよっ!」
 拳を握って突き出されてくるディアの右腕を、グエンもまた咆え返しながら、右腕で掴んだ。
 そうして掴んだ腕を手前に引っ張り込みながら、ディアの胸元に右肩を割り込ませて、身体を反転させた。
 グイッと掴んだ腕を下方向に引く。そうしてディアの身体を背中に背負って、反動をつけて投げ飛ばす。
 宙に浮いたディアに、サーラが声を響かせた。
「<黄金の盾>」
 本来なら守りの魔法であるそれを使う場面ではない。しかし、中空でバランスを取って着地しようとしていたディアは、体勢を整える間もなく、盾の魔法に弾かれ床へと転がった。
 そこへ、ユウナが青色と緑色の魔弾を解放させて作り出した氷の矢が、無数に襲い掛かる。
 片膝をついて顔を上げたディアは、迫り来る矢に、たたらを踏みながら追い立てられるように後退した。
 グエンは鞘から抜き払った剣を一閃させて、ディアに詰め寄る。
 大振りなそれは簡単に避けられるが、ディアの肩は壁へと触れている。もう逃げ場はない――穴が開いて崩れた壁の一角、そこ以外には。
 追い詰められている形勢を一旦断ち切るべく、ディアが壁の穴をすり抜けて外へと脱出するのを見て、グエンもまた穴を潜って、外へと飛び出した。


                    * * *


 戦いの場を外へと移したグエンとディア。その二人を追いかけようとしたユウナの肩をサーラが掴んで引き止めた。
「まだです、ユウナ」
「サーラさんっ?」
 肩越しにサーラを振り返って、ユウナは驚愕を杏色の瞳に浮かべた。
 どうして、止めるのか?
 グエンを援護しなければ、魔人は彼一人の手に負える相手ではないのに。
「先に、こちらを片付けます」
 サーラが誘導するように、薄紫色の瞳をルセニアとカネリアへと向ける。同じように二人に目を向けてみるが、ユウナにはサーラの意向を把握しかねた。
 こちらの問題――ルセニアとカネリアが互いに傷つけあうことがないようにと。止めようと言い出したのは、他ならぬユウナだった。
 しかし、ディアという闖入者によって、状況は変わっている。
 それがわからないサーラではないと、ユウナは思う。今、優先すべきは、グエンへの後方支援だろう。
 そう口を開きかけたユウナに背を向けて、サーラはルセニアとカネリアの母子に向き直った。
「稼げる時間はそう多くはありませんので、手短に済ませます」
 抑揚のない声で告げると、サーラはスッと右腕を持ち上げた。優美な白い指が握っている銀の刃に、ユウナは唖然と口を開ける。
 それは、ユウナが背負っているリュックの――魔弾を収納している――一番底に、仕舞っていた短剣だった。
 魔力を持つ魔族に、魔法では決定的な致命傷を与えられない――魔族が持つ魔力が、魔法を飲み込んでしまうのだ――故に、ユウナはある一件から、魔力の影響を受けない短剣を一本、装備品として持ち歩くようにしていた。
 剣士であるグエンの剣がある限り、それは無用であるのだけれど。グエンがいない場面では、その短剣が切り札だった。
 だから、大事にリュックの底へと仕舞っていたのに――サーラはいつの間に、抜き取ったのか。ユウナには、リュックを探られた記憶はない。
 驚いて、長い睫が縁取る目元をパチパチと瞬かせる。そんなユウナを余所に、刃の切っ先を母子へと向けて、サーラはルセニアを横目に見やった。
「ルセニア殿の依頼は、ルセニア殿がカネリア殿に殺されたのであれば、カネリア殿を殺して欲しいというものでした」
 その言葉を前に、ルセニアの顔が歪む。
 表情を見れば、わかった。ルセニアは既にカネリアに矢を向けたのだろう。しかし、カネリアはルセニアを殺さなかった――グエンやサーラが推理したように。
 カネリアは己の命の危険を前にしても、動かなかった。そこには母親の情があったのだと、ユウナは思った。
(……そう信じたいだけなのかもしれないけれど)
 カネリアへと杏色の瞳を向ければ、サーラと対照的な色合いを持った美貌の女性は、ルセニアの視線から逃れるように顔をそらしている。
「……どういうことなのだ、これは」
 ルセニアはカネリアから、ユウナへと視線を移動させてきた。答えを求めているのだろう。
 彼は、カネリアに殺されるという結末しか、見えていなかったのだ。
 自分の中に流れる血も、カネリアが寄せてくる情も。何も知らなかったから。
 カネリアが己を殺さなかったその理由がわからないでいる。
「……ルセニアさん……」
「ユウナ殿、……これは一体、どういうことなのだ?」
 そう問いかけてくるルセニアの声に、
「――そのようなことは、今は関係ありません」
 彼の戸惑いを、くだらないと切り捨てるように、冷然としたサーラの声が重なった。
 ルセニアは目を剥きながらサーラを振り返った。しかし、目の前に掲げられた銀の刃に口を閉ざす。
「ルセニア殿が生存している以上、依頼は成立しませんが――」
 一呼吸の間をおいて、サーラは銀の刃を横に振り払った。
 手首を返して舞うように流れる腕の動きが、あまりにも唐突だったために、ユウナは一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 ヒュッという空気を裂く音がして、空を滑った刃がカネリアへと迫る。
 息を呑みながら間一髪の反応で、カネリアは一歩後退した。バランスを崩し、尻餅をつきかける彼女を無意識だろうルセニアの腕が受け止めた。
 カネリアの髪を一つに纏めていた髪留めが、ルセニアの肩口にぶつかって壊れた。
 ふわりと、宙を踊るカラスの濡れ羽色の髪に銀の一閃が絡まって、断ち切られる。
「ですが、私たちは冒険者です」
 ハラリと切り落とされたカネリアの黒髪が一房、床へと落ちるのをサーラ以外の三人は呆然と見つめた。
 そうして、恐る恐る凶行に走った麗人へと目を向けた。
 幾つもの視線が集う中、サーラは麗しき美貌を一片たりとも崩さずに、短剣を握った手首を胸元へと引き戻しながら、薄紫色の瞳でカネリアを見据えて続ける。
「人々の平和のために――魔族である貴方には、消えてもらいます」


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