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 ― 12 ―


 屋敷内から飛び出たディアは地を蹴り、二階部分のテラスへと跳んだ。手すりを靴底で再度蹴れば、一気に屋敷の屋根へと駆け上った。
 気がつけば、地平線に陽は沈んでいた。僅かな残光が西の空を赤く染めている。
 そこへと現れる人影に、ディアは凍える蒼の瞳を細めた。
 人間の運動能力で簡単に移動出来るような高さではないここへ、黒髪の剣士は遅れることなく追いかけてきたのだ。
「貴様、何者だ?」
 ディアは反射的に、問いかけていた。
 人間なんぞに、興味はない。しかし、この目の前の剣士に対して、警鐘を鳴らす己の感覚を無視しかねた。
「俺の名はグエン――お前を殺す者さ」
 グエンと名乗った剣士は、唇の端を引き上げて、不敵に笑う。
 魔族と対峙しても、恐れる様子はない。むしろ、獲物を前にして興奮しているかのように、藍色の瞳は炯々と鋭さを増す。
「魔族である俺を殺せると思うのか、人間が」
「試してみなければ、わからねぇだろっ?」
 抜き払った剣を構えて、グエンが詰め寄ってくる。足場の悪さもものともしない速さに、距離を詰められる前に仕留めようと、ディアは魔法呪文を唱えた。
「<突き刺され――光の矢よ>」
 放った光線が、グエンへと襲う。だが、彼を狙った光の矢は標的を見失って、遥か彼方へと消えていった。
 ディアが剣士の姿を捜して顔を上げれば、宙へ飛んだグエンが落下の速度に任せて、刃を振り下ろしてきた。
 爪を伸ばして、ディアは刃を受け止める。
 鋼鉄並みの硬さを持つ爪とこすれあう刃から、火花が散った。
 腕に掛かった負担に、ディアは唇を噛んだ。骨が軋む音が身体の内側で、鈍く響く。
 この力は――人間の腕力が繰り出せる範囲のものか?
 驚愕に目を見開くディアに、グエンは手首を翻して剣を引くと、こちらの心臓を狙って突き出してきた。
 半歩引いて、身を反らす。肌を寸前のところで掠めたグエンの剣によって、生じた風圧がディアの漆黒の髪をなぶった。
 そうしているところへ、グエンは右手から左手へと剣を持ち替え、横へと払う。またも胸元へと迫ってきた刃に、ディアは後方へと逃れた。
 安全圏へと距離を取ろうとするところを、すかさずグエンが詰めてくる。
 襲ってくる剣を二度、三度と爪で受け止める。この一連の時間を計れば、刹那の出来事だろう。
 人が持つ筋肉でこれほどの速度を? 馬鹿なっ!
「何なんだ、貴様はっ!」
 己の混乱を鎮めるように、声を張り上げて、グエンの剣を手のひらで受け止める。
 肉が割かれ、血が滴るのを構わずに、ディアは拳を握りこんで、剣を折った。
 小枝でも折るかのように、白刃の剣は半分を残して、二つに折れた。残った刃を片手に、グエンが引いたところを今度はディアが詰め寄った。
 爪を尖らせて、グエンの胸元へと狙いを定めれば、黒い手袋で覆った右手がディアの爪を包み込んだ。
 指先に感じる、肉を貫く感触。骨を砕く手応え。
 次の瞬間、引き裂かれた黒い布地の端から覗く鮮血の赤に、表情を歪ませたのはディアのほうだった。
 爪を受け止めることで、一時的にこちらの動きを封じたグエンが、左手に持ち替えていた折れた剣をディアの肩へと叩き込んでいたのだ。
 ディアと同じように――自らの肉体を犠牲にして。
 しかし、その手の戦法が実行できるのは、脅威の治癒力を魔族だからこそだ。人間である身で、まして利き手を犠牲にするなど、考えられない。
 だが、グエンはそれをやってのけた。顔色を変えずに。死を恐れない者ほど、厄介な存在はない。
 肩口に広がる熱に唇を噛めば、密着した姿勢からグエンの頭突きがディアの顎を強打した。
 口の中に広がる血と、肩の血と。
 流血したところで、傷はもう次の瞬間には癒えている。しかし、脳へと走った衝撃に、ディアの足元はふらついた。
 身体が沈みかけるそこへ、グエンの靴が迫る。顔をギリギリで反らしてやり過ごすが、肩の傷口に爪先が入った。全身に走った激痛が、身体から気力を奪う。
 そうして、ディアの身体は蹴り飛ばされた。屋根の上を滑って、もんどりうって地上へと転がり落ちる。背中から、敷石に叩きつけられた肺は圧迫され、一瞬、息が出来なかった。
「――――はっ――くっ」
 しかし、呼吸を整えている暇はなかった。屋根から飛び降りて、グエンがこちらをめがけて落下してくる。横に転がり、避ける。
 そうして、ディアが上半身を起こしたとこへ、グエンが敷石に手を突いて身体を反転させると、頭を低くして突進してくる。
 ディアは素早く立ち上がると、グエンとの距離を取った。だが、開いた距離を瞬く間に詰めて、グエンの拳が繰り出された。
 後方へと逃れながら、身体に残るダメージに攻撃をかわすのが、やっとだった。
 畳み掛けるような連続攻撃。高さのあるところから飛び降りても、鈍ることのない足元。
 どう考えても、人間の身体能力がなせる領域を超えている。
 グエンに対する警鐘が、今やディアの中では耳を塞ぎきれないほど、大きくなっていた。
 黒髪の剣士の拳が届かない、安全距離を確保することに専念した。懐に飛び込ませてはならない。危険だと、ディアの本能が訴えている。
 しかして、魔法でグエンを仕留めることも、ディアには出来かねた。呼吸のリズムが乱され、声を出すことが出来ない。魔法は声を媒体にして発動するのが常だ。呪文を唱えなければ、大した効果は望めない。
 ――追い詰められている、この俺がっ?
 息を乱しながら、防戦一方の己の現状を見れば、どちらが優位に立っているのかは一目瞭然だろう。
 リスラが死んだというのも、この相手ならありえることか。
 ギリッと歯を鳴らして、ディアは呼吸を整える。グエンの動きを見れば、この剣士は魔法が使えない。彼と共にいた二人の仲間――銀髪の女と茶髪の子供の二人――と合流される前に、片をつけるのが最善だ。
 そうして、息が整ったところで、ディアが言の葉を唇に載せようとした瞬間、大地が揺れた。


                    * * *


 爆音によって、音が耳から奪われた。
 肌を叩きつけ、身体を押し倒そうとする暴風と、視界を奪う粉塵が襲ってきて来るなか、グエンは足を踏ん張って、我が身を支える。
 靴底から伝わってくる振動に、全身が揺さぶられる。その感覚は、嵐に遭遇した船底での出来事を、グエンの頭の中に過ぎらせた。
 傾ぎがちになる上体を筋力だけで支えて、藍色の瞳を見張れば、カネリアの屋敷が強大な力によって瓦礫へと変わる光景が目に映った。
 これに似た光景を、グエンは一度見ていた。
 ガリア王国で、リスラが己の魔力を解放させて自爆した――あの瞬間。
「――ユウナちゃんっ! 姫っ!」
 グエンは声の限りを尽くして、仲間の名前を叫んでいた。その声は爆音に巻き込まれ、かき消される。
「――嘘でしょっ!」
 渦を巻いて、巻き上がる灰塵。天へ突き上る柱を呆然と見上げて、グエンは呻いた。
「……これは、どういうことさっ?」


                    * * *


 ディアの黒髪を激しくなぶる爆発のエネルギーは、ただならぬ規模のものだった。人間の魔法が生み出すレベルに比べれば、明らかに大きい。
 ディアは、自らが立っている状況を忘れて、瓦礫へと変わった屋敷を見つめた。
 ここにそびえ立っていた豪奢な建築物は、今や石の山だった。それを見れば、屋敷の中にいた存在した四人の生存は難しいと感じさせられる。
 いや、そもそもこの爆発の規模を考えれば――。
「カネリアが自爆したのかっ!」
 思わず叫んでみれば、視界の端にギョッと目を剥くグエンの顔が映った。
 それを目視しても、ディアは動けなかった――グエンが動かなかったから、ディアもまた動くという行動自体を自失していた。
 グエンの表情は驚愕していた。
 この屋敷に侵入する前の、彼らの会話を反芻すれば、カネリアが敵対することはないと確信している様子だった。
 だからこそ、敵はこちらだけだと判断して、グエンは追いかけてきたのだ。
 害にならないと、思ったからこそ。
 しかし、カネリアの息子が己を殺させることによって、冒険者たちを動かし、彼女を殺そうとした。
 この事実は、他人の手を借りた心中のようにも見える。
 ならば、息子の意を汲み取り、カネリア自身が心中へと動く可能性もまた、あるのではないか?
 共に死ぬことを選んだのならば……。
 カネリアの自爆を否定する要素は皆無だろう。
「――くそっ!」
 突き詰めた事実を前に、ディアの口から罵りの言葉が突いて出た。
 そこへ、瓦礫の一角が崩れた。
 カネリアが生きていたのかと、一縷の希望を胸に目を向けた。似たようなものを抱えて、グエンの眼差しもそちらへと走った。
 沸き立つ粉塵の影から、現れたのは――グエンの仲間だった。銀髪の女が茶髪の子供を背後に伴い、グエンの前に進む。
「――姫、ユウナちゃんっ! 良かった、無事だったんだね」
 笑顔を見せてグエンは二人の元へと駆け寄った。そんな彼に、銀髪の女は片手を持ち上げ、動きを制した。
「まだ、敵は残っています。気を抜かないで下さい」
「……敵」
 グエンの目がその存在を思い出したように、ディアを振り返る。ディアはその視線を受け止めた。
 無防備なグエンを今なら、魔法で仕留めるのは簡単だろう。しかし、二人の魔法師が合流した今、ディアの優位性はさらに悪くなっている。
 いつでも魔法を放てる用意をしながら、ディアは次の一手を考える。
 カネリアが生きているようなら、彼女を取り戻さねばならない。魔人の女は、魔人にとって子々孫々、繁栄していくには必要不可欠だ。ただでさえ、少ない女をこんなところで失うわけにはいかない。
 だが、先ほどの爆発は……。
 次に打つべく行動に頭を悩ませるディアの耳に、決定的な事実を声が響いた。
「この村を支配していた魔人の女には、消えてもらいました」
 銀髪の女が、無感動な口調で言ってきた。
 そうして、彼女は手にしていたものを放す。風に乗って、ディアの元へも飛んできたのは長い毛髪だった。
 伸ばした手の指先に絡まる黒い髪。
 この現場に居合わせた中で、黒髪はディアを含めて三人いた。だが、ディアの髪もグエンの髪も長くはない。答えは一つしかなかった。
「――貴方にも、消えてもらいましょう」
 薄紫色の瞳がディアを見据えた。
 種族を違えても、美麗だと認識させる美貌。背筋をゾクリとさせる冷ややかで鋭利な視線。銀糸のような髪を一筋も乱すことなく、その女は――そう、確か。仲間内にサーラと呼ばれていた――凛然とディアの前に進み出てきた。
 ディアの本能が警戒心を沸き立たせる。
「カネリアを倒しただと?」
 声を抑えて、サーラに問いかける。
 カネリアが自ら、死を選んだのではないのか?
「彼女は魔族です。例え、親としての情があり、ルセニア殿のためにこの村の守護者であったとしても。村の人間に受け入れられなかった以上、彼女は人間の敵。ならば、消えてもらう以外ありません。そうでは、ありませんか?」
 反駁を許さない口調で、キッパリと言い切るその言葉に、グエンが目を剥き、サーラの後ろに控えていた茶髪の魔法師は俯く。
 屋敷へと侵入する前の会話で、サーラはカネリアを擁護するような感じではあったが。
 二人の意向を押し切って、銀髪の麗人はカネリアを抹殺したらしい。
 独裁的な雰囲気をかもし出す彼女の揺るぎのない姿勢を見れば、嘘など感じさせない。
 ……カネリアが、死んだ。
 その事実が、ディアの内側に染みてきた。
「――貴方にも、ここで消えてもらいます」
 サーラの声が凛と、ディアの鼓膜に響いた。
「<重力の鉄槌>」
 その声に呼応するように、空気に重みを増した。ディアの身体は重力に押さえ込まれ、膝を崩す。
「――ユウナ」
 彼女の脇からユウナという名前の魔法師が飛び出してくると同時に、風の波が押し寄せてきた。重力に縛られた身体が軽くなったと思いきや、ディアは風の波に飲み込まれて、弾き飛ばされる。
 敷地から、屋敷の裏手へと飛ばされたディアは、背中をそこに生えていた樹木にぶつけることで止まった。
 顔を上げれば、視界に小さく冒険者三人の姿がある。それほどの距離を強制的に移動させられたということだ。
 歯軋りしながら、ディアは身体を起すと、視界に煌めく銀の光を見た――瞬間、右目に激痛が走った。何事かと探れば、魔法の風に乗せた短剣が眼球を貫いていた。
「くっ!」
 短剣の柄を握って引き抜けば、刃を深く食い込ませた眼球が視神経や毛細血管を引き千切りながら、眼窩から零れ落ちる。
 眼球が刺さった短剣を投げ捨て、空洞になった眼窩から鼓動にあわせて溢れる血と激痛に堪えながら、
「――貴様っ!」
 ディアは、傷ついた顔半分を手で覆って声を張り上げた。
 それに応えるようにツと、マントの裾を華麗にさばいて、前に進み出て来たのはサーラだった。
 胸元に掲げた手を静かに下ろす動きを見れば、短剣を放ったのは彼女らしい。
「狙いが外れました。しかし、次は外しません」
 サーラは玲瓏たる声を響かせて、告げる。
 容赦など欠片にもなく、慈悲も一片たりとも見せない。
 魔族相手に恐れることもなく、むしろ尊大な彼女に対して、ディアは自分がとてつもなく矮小な生き物であるように思えた。
 第一に、カネリアが死んだとなれば、今まで彼女の機嫌を伺っていた自分は何なんだ?
 ここに居ることの存在意味すら、見失う。
 この冒険者たちと争い交える危険すら、惜しい。
 ディアは激昂しかける思考を抑え、冷静に状況を判断した。
 グエンの身体能力は、人間の領域を超えている。
 サーラは魔族相手にも臆しない。
 そして、ユウナという魔法師は、魔法呪文を口にしない。それ故、どんなタイミングで魔法攻撃が仕掛けられるのか、見切るのが難しい。
 この三人の冒険者たちは、ディアが今まで出会っては肉塊へと変えてきた輩とは違っていた。
 手傷を負った今、このまま争ったところで、勝機は一分もないだろう。かといって、自爆に走ってまで、決着をつけようとは思わない。
 万全の状況であれば、いかな三人が集まろうと、自分の敵になるはずがない。
 ここで引くことを拒むことは、愚かで。そんな愚かしさを遂行することのほうが、ディアにとっては屈辱だった。
 いずれ、必ず――この三人には、自らの手で引導を渡してくれる。そう決意すると、ディアは声を響かせ魔法呪文を唱えた。
「<牙をむけ――、土竜っ!>」
 ディアの魔法によって、サーラが踏み出しかけた足元の地面が大きく振動して、二つに割れる。
 暗黒色の断崖が大地に刻まれる。その手前で動きを制限され足を止めたサーラを、ディアは残った左目で一瞥すると背を向けた。


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