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 ― 13 ―


 翻る黒衣の背中を目にして、グエンは駆け出す。
 このまま逃がすわけには行かないと、断崖の淵を蹴ってディアを追いかけようとした瞬間、横から延びてきた腕に制された。
「追う必要はありません。あの魔族には、このまま逃げてもらいます」
「どういうことっ?」
 グエンはサーラの意向をはかりかねて、彼女の横顔を振り返る。
「だって、あいつはどう考えたって、敵にしかなりえないよっ!」
 カネリアのように、人間側に歩み寄ろうとする魔族を、グエンとしては受け入れるつもりだ。魔族を一概に括るのは止めようと、心に誓っている。
 魔族がグエンに対して行ってきた仕打ちが、どれだけ非道であったとしても。全ての魔族が、そうであるとは限らない。
 人間にも善人と悪人がいるように、魔族にも同じことが言える。
 しかし、ディアは人間とは敵対する側だ。人を人と思っていない態度が彼の言動の端々から感じられた。
 今、ここで仕留めておけば、後々の被害を未然に防げるはずだ。
 そう目で訴えれば、サーラは冷淡な薄紫色の瞳を返してきた。
「プライドの高い魔人であれば、人間の女相手に手負いを負ったことが許せないはずです」
「……サーラさんっ、それじゃあ」
 近づいてきたユウナが、息を呑んで顔色を青くする。グエンもまた、目を剥いた。
 サーラの言葉を読み解けば、ディアは必ずサーラに復讐しに戻ってくるということではないか?
「――姫っ? 何、考えているのっ? だったら、なおさら。今ここで、仕留めておかないと、狙われて危なくなるのは姫じゃないっ!」
 無表情なサーラが何を考えているのか、把握しづらい。それでも、グエンは彼女が何を考えているのか、朧なりともわかっている気がしていた。
 強い信念が、彼女を動かしていることを知っていたから。
 でも、今回のことだけは理解しがたい。
 訳がわからなくて、騒ぎ立てるグエンに、サーラが僅かながらに眉間に皺を立てた。怒っているというより、グエンの騒々しさに苛立ちを覚えている様子。
「私が危険に陥るということは、貴方は私を見捨てるということですね」
「……えっ?」
「私を守りきる自信がないと言うことでしたら、貴方とパーティを組み続けるのは無理ですね。わかりました、グエン。ここで、貴方とは解散しましょう」
「ちょっ、姫っ?」
 グエンの目の前でサーラは背中を見せると、ユウナへと近づいていく。
 一体、何が起こっている? と、混乱するグエンの耳に、少年に語りかけるサーラの声が届いた。
「ユウナは私と共に旅をしてください。ユウナのことは何があっても、私が守りますから」
「サーラさん」
「それに、あのような魔族一人、馬鹿な剣士一人の手を借りずとも、私とユウナが力を合わせれば、片付けられる。それは今回のことで証明できたと思われます」
 そう断言するサーラに、ユウナが戸惑いの視線をグエンへと投げてきた。少年の杏色の瞳には、サーラの言を否定できない、という色が浮かんでいる。
 証明できた――というそれは、カネリアを倒したことを差しているのか。
 実際に、サーラが手を下して彼女を殺したのか?
 ユウナの目の前で?
 グエンが驚きに目を瞬かせる。
 どういうこと? と、口を開こうとするこちらなど全く構わずに、サーラの声は続いていた。
「事情があり、仕留めることはしませんでしたが、狙いさえ外さなければ、短剣はあの魔人の心臓を貫いていました」
「ちょっと、何っ? わざと、狙いを外したってことっ? ねぇ、一体、どうなっているの?」
 慌てて声を割り込ませ、グエンはサーラに詰め寄った。彼女は肩越しに振り返ると、冷ややかに目を細めた。
「少しは頭を働かせたらどうですか? ああ、貴方に頭脳労働を強いるのは酷でしたか」
 氷のように冷たく。そして、トゲを孕んだサーラの声にグエンは絶句する。
 グエンのことを嫌ってはいない――同時に、好きになる要素もないと、彼女は言ってくれているけれど。
 嫌われているしか思えないほど、サーラの毒はグエンにダメージを与えてくれる。
 嫌っていないという言葉が、嘘ではないかと疑りかけて、グエンはハタリと気づく。
 感情を偽らず――というか、感情表現が皆無に等しい――率直に、毒とも思える言葉を口にするサーラが、何を得てしてわざわざ嘘をつく必要がある?
 そう思い当たって、グエンはサーラの言動を思い返してみる。
『――消えてもらう』と言った言葉が、そのまま倒すことを意味するのならば、ディアに対して止めを刺すことを制止するはずはない。
『消えてもらう』と言うその意味が、この場から立ち去ってもらうという意味なら……。
 カネリアに対して『消えてもらった』と言う意味も、『倒した』という意味ではないのかもしれない。
(そう。――だって、ユウナちゃんが悲しむことを姫がするはずない)
 サーラにとって、ユウナは特別なのだから。その少年を不用意に傷つけることはない。己の信念を貫くためには、決して妥協しない彼女だけれど……。ユウナが選ぶ未来は決して、サーラの信念を挫くものではないから、二人は同じ道を歩いていける。
 それ故に、サーラはユウナを選んだのだから。
 一つの確信を持ってグエンが顔を上げれば、サーラとユウナが現れた瓦礫の陰から、姿を現したのは……。


                    * * *


 サーラが突然、短剣を振るってカネリアに襲い掛かったとき、何が起こったのか、ユウナにはわからなかった。乱心したのかと思った。
 事情が把握できず混乱するユウナの前で、サーラは淡々と言った。
『人々の平和のために――魔族である貴方には、消えてもらいます』
 そして彼女は、床に落ちたカネリアの黒髪を、白い指に絡めるようにして拾い上げると、三人の目に入るように腕を持ち上げて見せた。
『この髪を、私たちがカネリア殿を倒した証にして、貴方を死んだことにします』
 薄紫色の硬質な視線がカネリアを射た。
『サーラさんっ?』
 困惑に声を上げるユウナをサーラは振り返って、瞬きを一つ。ゆっくりと上下する銀の睫の動きを見つめ、ユウナは開きかけた唇を結んだ。
 ――きっと、サーラには何か考えがあるのだろう、と。
 ただ一つの動きに、瞬きの刹那に。
 ユウナの混乱は静められ、そう思わせる冷静さを取り戻させた。
 サーラが視線をカネリアへと戻す。
『この村にとって、カネリア殿は目の上のタンコブです。村人はどうしても魔族である貴方を意識せざるをえません。しかし、貴方は村人を奴隷にして支配することはなかった。けれど、歩み寄ることもなかった』
 ルセニアの腕の中で、カネリアは顔を伏せ、赤い紅を塗った唇を噛む。
『貴方の望みはただ、魔族や人間といった種族間に拘ることなく、静かに生きることなのかもしれません』
 抑揚なく語られるそれに耳を傾けて、ユウナはカネリアの心情を推測した。
 多分、サーラが言うとおり、カネリアは静かに生きたいのだろうと思う。
 我が子であるルセニアの平穏を見守り続けながら、決して、親と名乗ることなく。
 ただただ……。
『しかし、この世界に生きているのは貴方一人ではない。貴方の存在がこれ以上、この村にあることは好ましくありません。それはわかりますね?』
 サーラの静かな問いかけに、カネリアは顔を上げると口元を歪めた。諦めたのか、覚悟を決めたのか。ユウナには、その表情がどちらのものかは判断付きかねた。
『――ああ……』
『聡い貴方は、ルセニア殿の今回の行動から――いいえ、以前からご自分と村人たちとの狭間にある隔絶を知っていた。だから、我が子を人として育てるべく、フラン殿にルセニア殿をお預けしたのでしょう』
『……何の話をしているっ?』
 ルセニアが割り込んできた声は荒れていた。状況がわからず、混乱しているのだろう。まだ誰も、彼とカネリアとの関係を言及していない。
 どのように伝えたら良いのだろう、と。ユウナが迷っていると、サーラは何の感慨も感じさせない声で事実を突きつける。
『ルセニア殿、貴方は人間であるフラン殿と魔人であるカネリア殿との間に生まれたお子さんです』
『なに……を?』
 反論しようとしたが、言葉が見つからない様子で、ルセニアは緋色の瞳を左右へと彷徨わせた。
『――魔族の血を引いた者は、魔人の寿命ほど長くは生きられませんが、長寿です。その寿命はどれほどでしょうか?』
 サーラがカネリアに瞳で問いかければ、彼女は嘆息を吐きつつ言った。
『……長く生きた者で、七百年と聞いている。大概は、五百年といったところだろう』
『どちらでも、人間より長く生きるのであれば、成長過程は緩やかなものになります。ルセニア殿、貴方はご自分が年齢に見合わない容姿であることに疑問を持ったことはありませんか?』
『…………』
『それと、魔族の血は人間には受け入れがたい毒です。貴方のお子さんをお腹に宿した奥様に、貴方のなかに半分流れる魔族の血がもたらしたものを考えれば、自然と答えは導き出されるでしょう』
 一つ一つ、サーラはルセニアが反論するであろうことを潰していく。
『……マリーが……魔族の……私の血で……?』
 ルセニアが己の手を眼前に晒して、震えた。
 自分の中に流れる血が、愛しい妻子を死に至らしめたと知れば、心に掛かる負荷はどんなものだろう?
 それを想像するだけで、ユウナの心もまた軋んだ。その苦しみはきっと、潰されそうなくらいに、重い。
『カネリア殿が沈黙し、そうして村人たちとの間に生まれたあつれきの全ては、ルセニア殿。貴方の出生を秘匿するためだったのです』
 感傷を切り捨てて、事実を突きつけるサーラを前にして、ルセニアは呆然と傍らに立つカネリアを振り返った。
『……私の?』
 呟くように問いかければ、カネリアは自虐気味に笑った。そうして、耐えかねたように俯く。
『……我を、このような女を……母親だと認めたくはないだろうな、ルセニア』
 髪の一部が切り落とされたそこから覗く、苦渋に歪む横顔を目にして、ルセニアは一歩、彼女へと詰め寄った。
『……本当なのか? だって、人間を何とも思っていないはずだろう、貴方はっ!』
 ――そうであってくれ、と。
 訴えるように、ルセニアの声は悲痛に震えていた。
 今までの全てを振り返れば、この現実は容易に受け入れがたいのだろう。
 親友や村人たちのために、殉じられたら――その覚悟も、滑稽な茶番劇に変わってしまうかもしれない。
 彼が何も知らなかったというだけで、繰り広げられた芝居。
 上辺だけだと思っていた思いやりも、ただルセニアが目を曇らせていただけで、カネリアは誰よりも深く、我が子のことを愛していた。
 結局、道化を演じていたのは、ルセニアだけだということを。
『テッド殿のことを仰っているのでしたら、それは仕方のないことでしょう。自分を殺そうとする相手に、情けが掛けられるのは愛した相手だけでしょうから。それは、人も魔族も大差はないと思われます』
 サーラの言葉に、ユウナも自然と頷いていた。
『……だから、私が矢を向けても…………』
 ルセニアがカネリアに視線を投げかければ、それを受け止めたのは慈愛に溢れた穏やかな笑顔。
『如何に、命の危険に晒されようと。他の人間なら、ともかくも。お前を殺すわけにはいかぬだろう? お前は、フランが我に遺してくれた忘れ形見なのだから』
 だけどその一言が、茶番であったことを白日に晒す。
 ルセニアは、身体中から力が抜けたように、床に崩れた。呆然と見開かれた瞳は虚ろで、何も映していない。微かに開いた唇も紡ぐ言葉を失ったかのよう。
 自失のていのルセニアに、何と言葉を掛けてよいのか、ユウナは戸惑う。この屋敷に乗り込む直前に、サーラやグエンによって知らされたルセニアの出生の秘密。それはユウナにとっても衝撃であったのだから、彼本人にすれば、この事実は今まで生きてきた世界が瓦解し、当たり前だった常識を崩壊するようなものだろう。
 それがわかっていても、慰めの言葉も差し伸べる救いの手も、ユウナには見つけられなかった。きっと今は、何を言っても届かないという奇妙な確信が、少年の声を凍らせていた。
 同じようにルセニアを痛ましそうに見つめていた緋色の視線は、やがてゆっくりとサーラへ向けられた。
『――そなたには、何か考えがある様子。我の死で、ルセニアが守れるのなら、我はこの命を捧げよう』
『ならば、その覚悟の証として、私に従ってください』
『何だ?』
『この屋敷を壊します。貴方の魔族としての力を貸してください。大々的に破壊して、村人に貴方を死んだと思わせる必要があります。そして、あの魔人にも』
『……ディアにも? しかし、奴はそなたらが倒すのでは……』
 驚きに目を見張るカネリアと同時に、ユウナも思わずサーラを振り仰ぐ。
『サーラさん?』
『貴方が死んだということを村人に思い込ませるだけでは、意味がありません。貴方を求めて来る魔人の存在をどうします? 今までは貴方の一言で、魔人の男たちが村に手出しするのを牽制することが出来ていたでしょう――魔族の女は、優遇されています。現に、貴方はあのディアと言う魔人をこの村へ近づけながら、村に危害を加えさせることは無かった。何か、取引をしてのことでしょうが』
 一瞬、カネリアの表情が歪むのを、ユウナは目にした。サーラもまた、それに気づいたようだが、無感動に言葉を繋ぐ。
『それについて、詮索するつもりはありません。ですが、貴方を求める魔族は一人二人ではないのでは?』
『……かもな。今のところ、ディアが他の男たちを牽制してくれていると言ってよい。あれは同族の中では高位にあるからな。下位の輩は奴の目を盗んでまで、我に近づこうとはしないさ。所詮、能力ある者に、かしずく者たちだ。それに一応、女にも男を選ぶ権利は与えられている――より良き血筋の男を選ぶ権利は、な』
 苦々しく、吐露する声。
 その声を聞けば、魔族の中で女と言う存在が優遇されていても、個人の人格を尊重するものではないらしい、ということがユウナにも感じられた。
 子供を産む道具――なのかもしれない。
 そう考えれば、カネリアが人間であったフランを選んだ理由が、不思議とわかったような気がした。
 恋という感情は、まだよくわからないけれど。
 自分を大事にしてくれるサーラやグエンを、両親と同じように大事にしたいと思う気持ちは、ユウナの中にもあるものだから。
『ならば、魔族全体に貴方の死を知らしめる必要かあります』
『それにディアを使おうというのか……?』
 カネリアの問いかけに、サーラは無言で頷いた。白銀の髪がマントの上でさらりと踊る。
『しかし……』
『貴方の危惧は、冒険者として当然、考えています。生かしておくことが、危険か、そうでないか。故に、対策は考えてあります。私を信じてください』
 そう言って、サーラの薄紫色の瞳がユウナを見つめた。


                    * * *


 ディアに自分に対する憎しみを植え付け、そうして、ディアの攻撃対象を自分に限定させる。
 それが、サーラの計画だったのだと、ユウナは理解した。
 そのためにサーラが行った残酷とも思える目潰し攻撃。息の根を止めるのならともかく、苦痛を与えるだけでしかない所業。
 だけど、それは全てカネリアと村人たちのためで。
 己を代償に沢山の者たちを守ろうとしているにも関わらず。
 サーラは、言い訳もしない。
 無表情に弁明もせずに行動を起こすから、どんな意図があるのか、何を考えているのか、わからなくて。
 ハラハラさせて、混乱させられるけれど。
 それでも、サーラの不器用だけど寛大な優しさを知っているから。
 例えこの先に、どんな危険が待ち構えていようと。サーラと共にあって、彼女を守ろうとユウナは心に誓う。
 今までのように、守りたいという気持ちだけではなく。
 ――きっと守ってみせる、と。
 強く、心に言い聞かせた。


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