― 4 ― ギルドの二階は、冒険者たちに解放されていた。この場所に集った冒険者たちが情報交換したり、また足りない戦力を補充したり、と。 広い部屋には幾つかの丸テーブルが置かれ、木製の椅子が並んでいた。 その一脚に腰掛けた青年の年の頃は、二十代前半といったところか。グエンよりは幾らか年上に見えた。 ジェンナと呼ばれた青年の、グエンとよく似た体型は鍛え上げた剣士のそれだった。腰に佩かせた剣から見ても、この青年は剣士なのだろう。 赤い服の上から丈が短めのマントを纏い、黒いズボンに膝まであるブーツ。長剣とともに腰には短剣を収納するホルダー。グエンを襲った短剣は、今また彼の腰に納まっている。その数は五本。 明るいところで見れば、ジェンナのくすんだ金髪は、枯草のような鈍い黄色に所々に枯葉のような濃い茶色が混じっていた。その髪は肩に届くか否かの長さで、毛先はバラバラだった。髪の間から覗く丸い耳には、三つのピアスが飾られている。 髪より暗く濃い茶色――水に湿った土のような色の瞳が、日に焼けた肌色に二つ並んでいる。切れ長でややつり上がり気味の目尻。その左目の淵から頬、そして顎に掛けて、黒い花が咲いていた。 ユウナが思わずそれを凝視していると、視線に気がついたかのように土色の瞳が振り返り、薄い唇の端を引き上げた。 「刺青が珍しいかい? お嬢ちゃん」 「刺青」と言う単語にも驚いたが、「お嬢ちゃん」というそれにも驚いて、ユウナは絶句した。 女の子によく間違われる容姿とはいえ、またしても。 (……僕って、そんなに女の子っぽいのかな?) 自分では、男のように振舞っているつもりだ。顔だけならともかく、行動まで女の子に間違われるというのは、ちょっとばかり切ない。 微かに俯き加減になるユウナの斜め後ろ、テーブルの脇の壁に背中を預けたグエンが言った。 「ジェンナ。ユウナちゃんは男の子だよ」 「――げっ、マジで?」 ジェンナが目を見開けば、つり上がり気味の目元の印象が和らいだ。 「こんなに可愛いのに、もったいねー」 椅子から立ち上がると冗談めかした口調で、前屈みでこちらを覗きこんでくるジェンナに、ユウナは小さく笑った。 それはユウナ以外の第三者の目には、花が咲いたように見える可憐な微笑である。 「うわっ、マジ。もったいねー。男でもいいから、お持ち帰りしたいね」 「うるさいよ、ジェンナ。どんなに欲しがっても、ユウナちゃんはやらない」 グエンの突っ込みと、ジェンナとユウナの前に白い手が割り込むのが同時だった。 「私のユウナに気安く触れないで下さい」 白い手は、甲をジェンナの方に向けると、シュッと空気を裂いた。危うく頬を打たれそうになったジェンナが身を仰けそらせれば、僅かに開いた空間にサーラが立ち塞がる。 「……えっ?」 ジェンナが目を瞬かせて、グエンを振り返る。すると彼は、肩を軽く竦めた。 「ユウナちゃんに触れられるのは、姫だけだよ」 そう言いながら、グエンが小さくこぼす。 「俺だってなかなか、手を繋げさせて貰えないんだから」と。 (……僕と手を繋いでも、何も良いことなんてないと思うけど) そう思いながらもユウナは、仲良くしたいという気持ちを表したグエンらしい発言に、笑みをこぼした。 「こちらの別嬪さんも、お前の新しい仲間?」 「――ああ。黒魔法師のユウナちゃんと、白魔法師のサーラ姫。こっちは、昔馴染みのジェンナだよ」 後半はユウナたちに向けて、グエンはそれぞれを紹介した。 ジェンナがグエンに「新しい仲間?」と問いかけたことからすれば、その付き合いはグエンが冒険者学校に入る前のだろう。 グエンは冒険者学校に入る以前から、冒険者として戦っていた――ならば何故、冒険者学校に入ったのかと聞けば、仲間を探すのと同時に、冒険者としての資格を得るためだと語っていた。資格を持っていないと、幾ら魔族を倒しても正式な報酬は得られない。その時点でグエンは、あくまでも見習い冒険者だった――その頃の知り合いか。 自分たちが知らないグエンの過去を知る人物――そう改めて、ユウナはジェンナを見上げた。 ジェンナは黒い花を咲かせた頬を傾けるようにして、横目にグエンを見返ると、唇の端に笑みを宿して、軽口を叩いた。 「両手に花じゃないか。羨ましいな」 「そういうお前は、何だよ? 顔に花なんか咲かせて」 グエンはちょっとだけ眉間に皺を寄せて、ジェンナを睨んだ。その言い分を聞けば、ジェンナの刺青はそう古いものではないらしい。 「ああ、これ。刺青だよ、イレズミ。ちょっと箔をつけようかと思ってな」 ジェンナは指先で、引き締まった自らの頬を突いた。 「わざわざ、目立つところに彫ったんだ。結構、イケてるだろ?」 蔦が目尻から顎へと伸び、頬で大輪の花を咲かせている。文様自体は取り立てて、凝っているという感じではないその花を、ジェンナは誇らしそうに笑った。 「――趣味悪い」 グエンはそう吐き捨てた。声に苦々しさが宿っている。 刺青を彫るということは、自らの身体を傷つけることだというのはユウナも知っている。そうして描いた花は、痛みに耐えた勇気を象徴するかもしれない。 だけど同時に、自虐的な悪趣味さも兼ね備えている。 グエンはそれを嫌悪しているのだろうか。 「そう言うなよ」 ジェンナは気分を害した風でもなく、笑った。めげない明るさと軽快な口調は、グエンに似ている気がした。 昔馴染みとしては、古いのかもしれない。もしかしたら、グエンの冒険者仲間? そう考えた瞬間、ユウナは口を開いていた。 「ジェンナさんは、グエンさんのお仲間さんだったんですか?」 その問いかけにグエンが目を瞬かせるのが、小首を傾げたユウナの視界に入った。 「あー、一回だけ仕事をしただけだよ」 どこか苦々しげに吐いて、グエンは藍色の瞳をそらした。目鼻立ちの整った凛々しい表情が微かにかげる。 「そのとき、一緒だった仲間は俺の師匠を除いて……死んだ」 「……えっ?」 驚きに喉を突いて吐き出された自らの声を、他人事のように聞いて、ユウナは固まった。 (……死んだ?) それが意味を持って意識に染み込んできたのは、数瞬後のことだった。 冒険者である以上、魔族との戦いで命を落すのは珍しくない。そんなことは重々承知だし、我が身に降りかかる運命かもしれないと、覚悟も決めていた。 それでも、こうして現実を目の当たりにしてしまうと、言葉もなく瞠目させられる。 「まあ、運が悪かったな、アレは」 そうジェンナが肩を竦めれば、グエンはそらしたままの横顔で唇を噛んだ。 仲間思いのグエンには、「運」という一言で片付けられるのは耐え難いことなのだと思った。そうして、それを軽々と口にしてしまうジェンナに対して、ユウナは違和感を覚えざるを得なかった。 (この人は……) 仲間を失うことを、「運」という一言で終らせる。そんなジェンナにとって、仲間というのは一体どういう存在なのか? 「――それで?」 胸にざわついたものを感じていると、抑揚のない声が割り込んできた。 声に目を向ければ、いつもと変わらない美貌で、だけど無表情にサーラが問う。 「私たちに短剣を投げつけたことを「運試し」とでも説明するつもりですか?」 その一言で、突然の再会にうやむやになっていた問題が浮上する。危うく、忘れかけるところだった。 (そうだ……この人は、僕たちに危害を加えようとした) 「ああ、アレ。グエンの反射神経が鈍っていないか、確かめようとしてさ」 なのに、ジェンナは全く悪びれた様子もなく、あっけらかんと言ってのけた。 やはりこういうところはグエンと似ている。 (……でも) 何故だろう? これが、グエンだったなら、呆れて笑ってしまうところなのに。ジェンナに対しては、違和感だけが付きまとう。 「さすが、鋼鉄のガイナンの一番弟子だよな」 眉を顰めるユウナを気にした風でもなく、ジェンナはグエンに視線を流した。 「――鋼鉄……ガイナン?」 ジェンナの口から出たそれを、ユウナは繰り返した。「ガイナン」というそれを唇から吐き出すと、それは不思議と懐かしい響きをしていた。 「知らないか? 西の方では有名な剣士でさ。グエンの剣の師匠さ」 ジェンナはこちらへと視線を引き戻しながら、まるでそれが自分のことのように言って、胸を張った。 冒険者として名を馳せれば、勇者として崇められる。そして、尊敬と共に異名を与えられるのが常だ。 ユウナの両親は、長く西の大陸を支配していた魔王を倒したことで、勇者と認められていた。そんな二人にもそれぞれ異名があった。 風の魔法が得意だった父には「風牙」、火の魔法が得意だった母には「紅蓮」と。 本来の名に冠が付けられて、冒険者仲間からは「風牙のジスタ」「紅蓮のカレナ」と呼ばれていた。他にも魔族討伐の過程で、ある国からは貴族の称号を授かったとも、聞いている。 そんなものは要らないから、名乗らないけどね、と。父は茶目っ気のある笑顔で笑い飛ばしていた。 誰も習得成しえなかった蘇生魔法を取得したサーラもまた、その偉業を讃えられて「命の女神」「生命の女王」と呼ばれている。 この手のことは、冒険者特有の習慣だ。 そして、グエンにも一応、異名があった。彼に与えられた異名は「剣聖」と。 それは、グエンが冒険者学校に在籍していたとき、勇者として有名な剣士と手合わせをして、瞬く間に相手を叩き伏せたことがあったらしい――クラスが違うので、ユウナは噂としてしか耳にしていないが――その相手が、グエンの強さに感服して自らの冠を譲り渡したという話を聞いている。 今はまだ「剣聖グエン」というその異名は、「命の女神サーラ」というように浸透していないが、いずれ冒険者の間で「剣聖」を口にすれば、グエンの名が上がるようになることは、ユウナにも想像できた。 そんなグエンの師匠であれば、余程の使い手であっただろう。 異名を与えられるほどならば、ユウナの耳にも届いている可能性がある。だから、懐かしく思えたのだろうか? 西の大陸は、ユウナの故郷だ。子供の頃に、父や母に聞かされた冒険譚に、その名が混じっていたとしてもおかしくはない。 そこまで考えたユウナの思考を裏付けるように、ジェンナが言った。 「かの有名な「風牙のジスタ」と一緒に旅をしていたっていう御仁だぜ」 「――えっ?」 思わぬところで、父の名前を聞けば、ユウナの記憶が明るくなった。 ガイナンという剣士に与えられた「鋼鉄」という異名が、人丈もあるような幅広い鋼の剣を得物にしていたことから名づけられていたことを、ユウナは思い出した。 巨大な剣を軽々と背負う巨漢の剣士――ガイナン。その人をユウナは知っていた。 両親が魔王を倒したとき、二人はそれぞれ所属していたパーティの仲間を失っていた。生き残った二人は、もう二度とパーティを作らないことを心に決めていた。 しかし、黒魔法師だけでは魔族と戦うのは正直言って、無理があった。二人ならともかく、幼いユウナを抱えては旅が出来ない。 よって、子育てが落ち着くまでユウナの父――ジスタは協力を求めてきた冒険者たちに力を貸すという形で、冒険を続けた。 その頃に、行動を共にしていた剣士の一人が――ガイナンだった……と思う。 思い出したが、ユウナの記憶は曖昧だ。 何しろ、その頃の自分はまだ四つか五つだったはずだ。ガイナンの姿形もおぼろだ。 ただ、山のように大きなその人に肩車をして貰った覚えが記憶の端にいつもあった。 それを思い出して、あの大きな人は誰だった? と、成長したユウナが両親に問いかければ『ガイナンだよ』と、父が答えてくれた。 『父さんの友達さ』と、柔らかく笑った微笑が、胸に温かく蘇る。懐かしい響きは、実際に記憶に刻まれた音だったのだ。 それにしても、グエンとは意外なところで繋がりがあったことに、ユウナは驚く。 (グエンさんの師匠ということは……グエンさんは西の大陸出身?) ユウナたち三人が出会ったのは、南の大陸の冒険者学校だった。 西の大陸の冒険者学校は魔王によって潰され、ユウナが学校に入ることが許される年になっても、再建途中といった感じだった。故に、ユウナは両親の許可を得て南の大陸に渡った。 同じように、グエンも海を跨いだのだろうか? ――いや、グエンはもう既に冒険者として旅をしていたのだから、師匠が勇退を決めたとき、たまたま南の大陸に居ただけなのかもしれない。 どちらにしても、こうして出会えた偶然に、運命めいたものを感じてしまうのは、間違いだろうか。 思わずグエンを振り返れば、彼は壁から身体を引き剥がして、ジェンナの前に回りこむ。結果、ユウナはグエンの背中に庇われるような位置に置かれた。 「それで、俺は合格なわけ?」 グエンがジェンナに問いかける。その声が微妙に尖っているように思えた。何かを警戒するような、緊張感がユウナにも伝わってきた。 (……グエンさん?) |