― 5 ― 「――それで、俺は合格なわけ?」 背中にユウナとサーラを庇って、グエンはジェンナを藍色の瞳で見据えた。 背丈はほぼこちらと変わらない昔馴染みの年は、四つほど上だったか。 ジェンナに初めて出会ったのは、グエンが十七歳のとき。あと数ヶ月すれば、十八歳になろうかという時期だった。ジェンナは二十二歳で、まだ頬に刺青など入れていない駆け出しの冒険者だった。 三年前、ジェンナに会っていなければ、グエンはきっと今頃、ユウナとサーラと出会うことはなかったと思う。 しかし、ユウナたちに出会えたことは幸せで、だけどジェンナと出会ったことは不幸だったと。矛盾を承知で、グエンは確信する。 ジェンナ自身に対して、特に悪感情があるわけではない。ただ、出会いが最悪だった。彼の存在が、当時グエンが在籍していた冒険者パーティに最悪の結果をもたらした。 仲間の死が、グエンを引き取って面倒を見てくれたガイナンに、引退を決意させたのだ。 ガイナンが引退を決意していなかったら、グエンは冒険者学校に入ることはなかっただろう。冒険者の資格なんて、実際のところ、グエンには要らなかった。 魔族を倒し、人々を助ける――それだけが生き残った自分に、自らが与えた存在理由。 こんな自分でも、守りたいと思える存在に出会ったから。 グエンは剣を取ったのだ。 だから、その思いを胸に秘める限り、グエンはガイナンの元で見習い冒険者という形で戦い続けていただろう。 しかし、ジェンナとの出会いがそれまでの生活を壊した。 そのことを思い出せば、どうしてもジェンナに対する態度は刺々しくなる。しかも、ジェンナはユウナにグエンの過去を語ろうとするのだ。 ガイナンの下にいた過去なら、それは大して問題ではない。だが、ガイナンから、ユウナの父であるジスタへと繋がっていけば、話が違ってくる。 ユウナには、秘密にしていることがあるのだ。 「何? 何か、不機嫌だな」 ジェンナが土色の瞳を返してくるが、表情はあいも変わらず薄笑いが浮かんでいた。 どんな場面に置いても深刻さに欠ける部分があったことを、グエンは思い出した。 つり上がり気味の目尻の奥の瞳はどこか狡猾そうで、薄い唇は酷薄そうな印象を与える。目鼻立ちが整っているので、表情を宿せばそんな印象も一蹴するけれど。 飄々として掴みどころがなかった。何を考えているのか、はかりかねる部分は今も昔も変わらないらしい。 「不機嫌にもなるだろ? いきなり、短剣を投げつけられたら」 声を尖らせて、素っ気なく返す。 「まあ、それは悪かったよ。ついつい、懐かしい顔を見つけてさ。こんなの冒険者の挨拶だろ?」 「そんな話は、聞いたことないね」 愛想を見せるジェンナをグエンはにべもなく切り捨てて、既視感を覚えた。 (……あれ、これって) 「そうか。まあ、俺とお前の仲だ。構わないだろ?」 「そう言うほど、俺たち仲が良かったか?」 「何だよ、冷たいな。苦楽を共にした仲じゃねぇか」 「苦は共にしたけどな。楽を共にした記憶はないよ」 こちらににじり寄って来ようとするジェンナをことごとく弾き返せば、グエンはハタリと気がついた。 (……俺と姫の関係に似てない?) 「ええっ? 何、お前、オレのことが嫌いなのっ?」 「……嫌いって言うか」 グエンが藍色の瞳を返せば、ジェンナは上目遣いにこちらを見上げてきた。 ジェンナには、過去のことがあるので受け入れがたい複雑な感情が付きまとう。だからと、嫌いと言うほどでもない。 『嫌いではない。ただ、好きになる要素がないだけです』 過去にサーラから言われた言葉。 (……つまりそういうことなんだ) サーラにとってのグエンが、グエンにとってのジェンナだった。 仲間だとか、昔馴染みだとか言っても、完全に信頼が置けない。 その感情が、どうしても距離を作る。態度を素っ気なくさせる。 そうして、グエンはユウナに隠し事がある限り、サーラから信頼されることはないだろう。その秘密がユウナを悲しませる可能性がある限り、サーラにとってグエンは仲間でありながら敵なのだ。 ジェンナに対して、グエンが感じる不信感。それは過去に由来するものなのかもしれない。 グエンが世話になったガイナンの仲間たちを――勿論、自分の仲間ではあったが、年齢差があったので兄貴分と感じていた――失ったきっかけは、ジェンナが持ち込んだ魔族討伐だった。 結果は、承知の通り。仲間を失うという痛手を負った。 それから、ジェンナとは顔を合わせていなかったし、もう三年が過ぎようとしている。 だけど、過去を思い出せば唇を噛みたくなるグエンなのに、ジェンナはその話題を軽く肩を竦めてやり過ごす。 受け止め方の違いと言ってしまえば、それまでなのかもしれない。失ったのはグエンであって、ジェンナは何も失っていない。 こちらの力量を承知しているからと言って、刃を投げつけてくるその神経も不信を誘う。怪我をしても構わないという……。 (…………いや、姫の場合は) グエンは過去、サーラに剣の切っ先を突きつけられたことを、唐突に思い出した。 (まあ、本気で斬る気なんてなかっただろうけど……) 傷を瞬時に治してしまう治癒力をユウナに秘密にすることは、サーラも了承しているのだから。 (…………それでも) あの時は、斬られる気がした。時々、サーラからは殺意を感じる。 (……いや、それはきっと、気のせいだし……うん。だって、俺たちは仲間なんだから……ねぇ?) 心の内側で、グエンは誰ともなしに問いかける。勿論、同意してくれる声などない。 「あの、――グエンさん? 具合でも悪いんですか?」 不意に、頭上からユウナの声が聞こえた。何故、上から聞こえるのか? 驚いて視線を上げれば、ユウナが心配そうにこちらを覗いていた。 少年の後ろでは、サーラの薄紫色の瞳が冷淡にグエンを見下ろしている。 脇を振り返れば、ジェンナが土色の瞳をやや驚いたように丸めていた。 気がつけば、グエンは膝を抱えて座り込んでいた。 いつの間にかグエンの思考は、ジェンナに対する不信感からサーラへと移り変わり、彼女との埋まらない溝に落ち込んだ。 ジェンナの存在を自分に置き換えれば、サーラの気持ちがよくわかっただけに……落ち込まざるをえなかった。 そうしてグエンは、無意識に膝を抱えていたわけだ。 ――何をやっているんだ? こちらを見つめる三対の双眸がそう無言で問いかけていた。 サーラの無感動な瞳には――馬鹿者め、と侮蔑の色が浮かんでいる気がするが……それは気のせいだ。気のせいに違いないっ! グエンは慌てて、立ち上がった。 「何でもないよ、ユウナちゃん。俺はいつだって元気さ」 明るく振舞って見せれば、サーラがユウナの気をそらすように言った。 「大丈夫ですよ、ユウナ。馬鹿を心配するだけ無駄です」 「……サーラさん」 ユウナがサーラを振り返って、困ったような顔を見せた。反論して欲しいところだが、ユウナもまたサーラには勝てないらしい。 「それより――ジェンナ」 グエンは話題を切り替えるべく、ジェンナに話しかけた。 「お前、まだ一人でやっているのか」 三年前も、ジェンナは一人だった。そうして、自分だけでは片付けられないから、手を貸してくれ、と。ガイナンに協力を求めてきたのが、彼との出会いだった。 今、ギルドの二階に陣取っているのはグエンたち一行を除けば、ジェンナ一人だった。 この東の大陸には、先の〈ゼロの災厄〉の被害が少ない。そういうこともあって、冒険者の数も他の大陸に比べて、やはり少ない。 この町のギルドの閑散ぶりが何よりも証明になるだろう。実際、この大陸でギルドから得た魔族の情報は、真偽のわからない眉唾物か、魔獣の類。駆け出し冒険者か、少数の冒険者パーティなどで、事足りるものばかりだ。 ジェンナは昔と変わらず一人で動いているのだろうか? そうグエンが問いかければ、彼は肩を竦めながら笑った。 「ご覧の通り。お前みたいに可愛い子が見つけられなくってね」 「……一人なわけね」 余計な言葉を省いて、グエンは嘆息を吐いた。 ジェンナ本人が仲間を求めているのか、否か。それはわからないが、少なくともグエンはジェンナとパーティを組む気にはなれなかった。同じように感じる冒険者も多いだろうと思えば、答えは見える気がした。 そうして、ジェンナ自身はそれを悲観してはいないようだ。枯れ草色の髪を軽く掻き上げながら、 「まあ、一人のほうが身軽に動けるし」 笑って、近くの椅子に腰掛けた。テーブルに肘を預けて、頬杖を付くと斜めにこちらを見上げてくる。 「それに、困っている昔馴染みがいれば、お前は助けてくれるだろ?」 力を貸してくれ、と言いたいようだ。 短剣を投げつけ、グエンの反応を試したのも、使えるかどうかを調べるためか。 結果、見事にジェンナを叩き伏せたグエンは、使える駒だと認められたらしい。 口の中に広がる苦さに、グエンが舌打ちするより先に、ユウナがジェンナの方に身を乗り出していた。 「……何か、困っているのですか?」 人の好い少年が、困っているとほざいている――ジェンナの態度を見れば、実際に困っているようには見えないのだが――相手を放置出来るはずがなく。 釣れた――と、言いたげに薄い唇が笑みを刻めば、グエンはジェンナの息の根を止めなかった――冗談ではあるが、事と次第によっては本音になるかもしれない――自分を後悔した。 それと同時に、ユウナの中に流れているお人好しの血筋を確信した。 * * * 『いきなり、こんなでかいガキを連れ帰ったら、奥方が怒らねぇか?』 気遣うような問いかけを前にして、ジスタと名乗った彼は無造作に伸ばした淡い金色の髪を揺らして、首を振った。 『大丈夫、僕の奥さんは寛大だから』 そうして、茶目っ気のある口調で言って、若葉色の瞳を細め、頬を傾けて笑う。 その笑顔は成人した男性のものと言うより、まだうら若き乙女のような雰囲気をかもし出していた。 幼いなりにグエンは大人の男に対して、その感想はどうなのか? と、自問する。 しかし、ジスタの細い肩や薄い胸板、全体的に華奢な体格を見上げれば、やはり彼が男だということに疑問を持ってしまう。 繋いだ手の指先の細さも。柔らかな声音も。若葉色の瞳を縁取る長い睫も。笑みを浮かべる唇のピンク色も。 その全部が、彼が男であることを否定するかのようだった。 比較対象にしている相手が、いかにも男と言うような感じの大男だったから、ジスタの女っぽさが際立つのかもしれない。 彼と向かい合って立つのは、厚い胸板に太い腕の大男――ガイナンと、ジスタは呼びかけていた。がっしりとした腰に当てた手も大きく、指も太い。 こんなに大きな男は今までに見たことがない、と。 グエンがガイナンの姿を見上げると、金色の、狼のような瞳と合った。 切れ長の目元に覗く金の瞳は、鋭利な光を宿していて――それは、自分を使い捨ての奴隷にしか見ていなかったサルダを思い出す。 サルダとは――グエンの慎ましくも穏やかだった日常を奪い、母を犯し、この身に流れる血を汚してくれた最低な魔人の名だった。 ジスタとこのガイナンという冒険者の二人が、そのサルダ・アンバースターを倒したという。 魔王を筆頭にして魔族があちらこちらで勢力をふるっていた西の大陸で、息を潜めるように存在していた村に、突如として現れたサルダ。 村を蹂躙し破壊、沢山の人間をその爪にかけて殺してきた魔人を、たった二人の人間が倒したという真実のほどは本当か否か知れないが、暗い檻の奥から光が届く外界へグエンを連れ出してくれたのは、間違いなく現実だった。 風が、汗ばんだグエンの髪を撫でていく。久しぶりに血の匂いが混じらない空気を嗅いだ気がする。 解放されたという感慨があるなかで、サルダのことを思い出せば、グエンの喉が渇いて、呼吸が上手く出来なくなった。 身体の芯が震え、けいれんに似た症状が全身を駆け抜けた。 腰が砕け、立っていられなくなった。繋いだ手に縋って、堪えようとするけれど、胸を圧迫する動悸に気力も散漫する。 そんなグエンの異変に気づいたジスタは、こちらの膝の裏に腕を伸ばしてきた。膝を抱えられたと思った瞬間、身体は横に倒されて抱えられていた。 地面に横たえられ寝転がったグエンの目に、ガイナンの手が伸びてくる。こちらの額に触れてくるその手のひらは皮膚が硬くて、ガサガサしてとしている。 ジスタの手に感じる柔らかさは、ガイナンには一つもない。武骨なごつごつした節くれが少し痛い。 荒い呼吸を繰り返しながら微かに眉を顰めると、ガイナンは分厚い唇の端を持ち上げた。 『やはり、子供でも男だな。女の手が良いってよ、ジスタ姐さん』 皮肉なのか、軽口なのか。 そんなことを呟いて――姐さんと呼んでいるが、年の頃はガイナンの方が年上だろう――ガイナンは手を引っ込めた。代わりにジスタの手が伸びてきて、グエンの額に触れつつ言った。 『僕はこれでも男なんだけどね、ガイナン』 『オイオイ。夢を壊すようなことを言ってくれるなよ、なあ?』 同意を求めるようにガイナンが金色の視線を向けてくる。ひんやりとしたジスタの指先を心地よく感じながら、グエンは確かに、と思う。 ジスタのその手の柔らかさは、母親のそれを思い出させた。これが男の手だという事実は、もう決して、母親の手に触れる機会がない現実を容赦なく突きつけてくる。 『大丈夫だよ、何も心配しなくていいから、息を大きく吸って』 それでも優しい声音が、恐怖に彩られた記憶を払拭してくれた。 薄れる恐怖に涙を流しながら、グエンは思った。 ……何が大丈夫なのだろう? こんな厄介な存在を拾って。 それでも、ジストの声に促されるままに、息を吸う。 『吐いて』 胸に溜まった重い空気を吐く。 ただそれだけで、身体のなかにある汚れが外へと流れ、己の身が少しだけ清められたような気がした。 全てが錯覚だとしても、今はジスタの声に酔っていたい。 『大丈夫だよ、何も心配しなくていいからね。僕が君を助けてあげるよ。だから、僕を信じて』 |