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 ― 8 ―


 ユウナの心の中に、ジェンナに対する不信は、最初からあった。
 腕試しと言って、グエンに短剣を投げつけた手荒な挨拶から、そもそもおかしい。
 確かに、グエンの反射神経は人並み以上のものがある。そのことを知っていれば、狙いを定めた短剣が必ずしも、傷を負わすという結果には繋がらないかもしれない。
 ――かもしれない、だ。
 あくまで可能性であって、絶対ではない。
 絶対だと思うのなら、グエンの運動能力を試す必要もない。ただグエンを信じて、助力を求めればいいのに、それをしなかった。
 どうして? 何故?
 疑問が付きまとい、不信に変わる。
 グエンの態度も、ジェンナに対しては棘を孕んでいるように思えた。
 昔馴染みと言っても、仕事を一回だけ一緒にした。それも、あまり良い思い出ではないらしい――仲間が死んだ事実を良い思い出に出来るほうがおかしいだろう。個々の思い出ならば、ともかくも。
 ……それでも、ジェンナは気さくにグエンに話しかける。仲間の死を「運がなかった」という一言で片付けて。
 グエンの気持ちを何も考えていない。思いやりすら、持っていない。
 初めから、そういう人なのかもしれない。他人の気持ちを考えない、自己中心的な人間は山のようにいるのだ。ジェンナがそういう人格の持ち主だったところで、不思議ではない。
 だとしたら、ユウナはやはりジェンナを信用出来ないと思う。
 それでも表面上はなるだけ、平素にジェンナと向き合おうと思っていた。向き合っているつもりだった。
 けれど、ジェンナに距離を感じさせたのだろうか、彼はユウナに親しげに話しかけてきた。
 これから先のことを思えば、彼なりにユウナの緊張を解きほどこうとしていたのかもしれない。気負いすぎている自分をユウナも自覚していた。
 ガチガチに固まって、そして共同戦線をはる人間とギクシャクしているようでは、魔族を相手にまともに戦えそうにない。
 ジェンナはこちらに歩み寄ろうとしていたのではないだろうか?
 だけど時折、ジェンナは背筋が冷えることを言う。
 子供の頃に小鳥を拾ったと話してくれた。翼の骨が折れていたその小鳥を、ジェンナは火にくべて焼いたという。それを父親の食卓に並べて褒められた、と。
 そうして、ジェンナは『傑作だろ』と笑った。
 ……何が面白いのか、よくわからない。
 顎を引き、眉を寄せて困惑の表情をあらわにするユウナを前にすると、ジェンナは唇の端を引き下げて、つまらなそうな顔をした。
『――飛べない鳥は、食われる。弱肉強食、オレってガキの頃から世界を知っていたんだよ』
 土色の瞳を眇めながらこちらを覗きこんで、ジェンナは言い切った。どこか自慢げに響く声。
 確かに飛べない鳥は逃げることも出来ない。外敵に捕食される運命を辿ることも仕方のないことだと思う。
 だけど、そこにジェンナの保護の手があれば、小鳥は傷を癒すことが出来た。そうすれば、また違う運命を紡ぐことが出来た。
 なのに、ジェンナはあっさりと、その小鳥の運命を自らの手で終らせてしまった。
 ……この人が冒険者をしている理由は、何なのだろう?
 ユウナは漠然とした疑問に突き当たる。
 絶対的な強さの前に、弱者はなす術もない――小鳥の話は、人間と魔族の関係を婉曲に話しているように聞こえた。
 希望なんてないのだと、突き放しているように思えた。
 それなのに、ジェンナは冒険者をしていた。魔族と戦う道を選んでいる。
 お金儲け――なのだとしても、矛盾している気がする。
 ……わからない。
 縮めようとした距離が、開くのを実感した。差し出された手を前に逡巡する間に、流れが二人を別々の場所へと運んでいくように。
 ジェンナもそれを感じたようだ。切り札だと言いたげに、持ち出してきたのが過去だった。
『――なあ、グエンの過去について知りたくない?』
 一瞬、気持ちが揺れた。水面に小石を投げられたように、動揺の小波がユウナの心で波紋を作る。
 でも、小石が水底に沈んで水面の波紋が消えるに従い、心の内側にある不信が顔を覗かせる。それを思い出せば、ジェンナの問い掛けに頷くことは出来なかった。
 グエンのことを知りたい。仲間だから、彼の心の支えになれるよう、彼のことを知って理解したい。
 でも、ジェンナからグエンのことは聞きたくなかった。聞いたらいけない気がした。
 グエンのことが知りたければ、グエン本人から直接聞けばいい。
 そう思って首を横に振ろうとした矢先に、ジェンナが笑う。
『アイツの右腕。何で、手袋で隠しているのか、知っているかい?』
「隠している」という一言に、ユウナは目を見張った。
 グエンの右手の手袋は、利き腕を保護するものだと思っていた。剣を握る際、汗で滑らないように。また、手首の負担を軽減するように。
(……そうじゃない?)
 杏色の瞳を瞬かせるユウナに、ジェンナは酷薄な笑みを貼り付けたまま、顎を上にそらす。そうして、彼の土色の瞳はユウナを斜めに見下した。
『ふーん。その様子じゃ、お嬢ちゃんってば、グエンから何も聞いていないんだ』
 お嬢ちゃんと言うそれは――侮辱だった。侮辱だと感じさせる悪意が見え隠れしていた。
 ユウナが男であることを既に承知しているのに、「お嬢ちゃん」と呼びかける。なけなしのプライドを、土足で踏みにじられた気がして、ユウナは頬に血を上らせた。
 女の子に間違われることは多々あった。それに対して、自分を情けなく思い、落ち込むことはあっても、怒りを覚えることはなかった。なのに、ジェンナに対しては苛立ちを覚える。
 彼の唇が、瞳が、嘲笑している――いや、それは挑発だろうか?
『信用されていないんだな』
 からかうように笑い声を響かせる。彼の頬で歪む黒い花。
 挑発して――距離を取ろうとするユウナを、強引に引き寄せようとする。友好関係を結ぶには、明らかに手法が間違っている。
 何がしたい?
『……関係ないです』
 ジェンナが何を考えているのか、ユウナにはわからなかった。
 だけど、わかっていることが一つある。
『グエンさんに信用されているとか、信用されていないとか、僕には関係ありません』
『――へえ?』
『僕がグエンさんを信用している。それだけで、十分です』
 過去がどうであれ、グエンはグエンだ。


                  * * *


「――話を元に戻しますが」
 声を吐き出すと、我に返ったようにグエンが振り返る。
 夜の闇に似た藍色の瞳をキョトンとさせて、グエンはサーラに視線を投げてきた。結んだ唇が緩く解かれると、小さく「あ」とこぼして、何かを思い出したかのように、睫を瞬かせる。
 その表情から察するところ、勝手に納得して、勝手に話を終らせた気になっていたようだ、この男は。
 サーラが目を眇めて睨みつければ、グエンはヒクリと頬を引きつらせた。
 泣いたり、笑ったり、恐縮したりと、忙しい男である。
 鼻先で軽く息を吐いて、サーラはグエンの表情の変化を黙殺した。
 これがユウナだったのならば、見た目にも可憐で愛らしく、コロコロと変わる表情は感情豊かで、こちらの心を和ましてくれる。
 それは時を忘れて、永遠に眺めていたいと思う。
 しかし生憎と、グエンはサーラの好みではない。
 世の女性たちから見れば、精悍で端整な顔立ちのグエンの方が、可愛らしいユウナより異性として好ましいのかもしれないが、サーラの場合は違う。
 女神と称される美しき外見から、やたらと異性に目をつけられて、嫌な感情しか経験したことがない彼女には、グエンの男らしさが鼻につくのだ。
 ――それはグエンのせいではないだろうが。
「ええっと、何の話を……していたっけ?」
 手袋で包んだ右手で黒髪を撫でて、さりげなさを装いつつ、グエンが問う。完全に、自分の世界に浸っていた模様だ。
 こういう、グエンの軽薄な――緊迫感なんて感じさせない――言動がサーラの内側で、殺意に似た感情の火種をくすぶらせる。
 握った拳をグエンの脳天に叩き降ろしたい衝動に駆られるのは、罪だろうか?
「貴方の頭は、実に素晴らしい記憶力をしていますね」
 ちくりと棘を含ませて声を返せば、グエンのこめかみにツと、汗が流れるのが暗い夜の中でも星明りでわかった。
「今しがたの会話すら、忘れたわけですか? もう医者に、脳を見てもらう以前の話のように思います。いっそ、首から上を取っ払ったらどうですか?」
「それじゃあ、死んじゃうよっ!」
 叫ぶグエンに、サーラは心の内側で舌打ちした。そうして、こちらへ来る前に仕掛けておいた結界魔法を完成させる。これで、ユウナたちに会話を聞かれる心配はない。
 ユウナとジェンナは眠っていると、グエンには言ったが。その実、サーラは二人が起きるように仕向けていた。
 ジェンナという男が何を企んでいるのか、わからない。だが、みすみす彼の術中に首を突っ込むほど、サーラは無謀ではなかった――どこかの馬鹿と違って。
 わざと音を立てて、グエンの元へと来ていた。
 その際、背中に人が起き上がる気配があった――ユウナだ。
 ジェンナは寝息を乱すことはなかった――なるほど、気配を把握させないだけの技量は持っているのだろう。
 剣の腕はグエンに打ち負かされているところからみれば、冒険者の中でも並みのレベルのようだ。
 しかし、時折垣間見える狡猾な瞳から察するに、剣の腕の足りないところを補う術は身につけているらしい。でなければ、冒険者を名乗って生きながらえやしないだろう。
 グエンと過去に繋がりがあることからすれば、冒険者らしいことはしているようではあるのだから。
 グエンの元でジェンナに対する不信を口にしながら、サーラは予め敷いておいた魔法結界を調節し、あちらに聞こえ届くだろう言葉を選んでいた。
 ユウナには、こちらがジェンナを信用していないことを知らしめ、決して心を開かないように警告する。
 ジェンナには、不信がっていることを聞かせ、彼の動きをけん制する――思い通りにはさせはしない。何があろうと。
 少し前のことを思い返しながら、サーラは目の前のグエンに向かって冷淡に吐き捨てた。
「馬鹿は死にません」
 サーラの配慮など、全く気付いていないグエンに怒りを覚える。
 不思議だ。感情なんて、とっくの昔に失くしたと思っていたのに。
 するとグエンは、目尻に涙をためた。
 ――埒が明かない。
 夜がいつまでも続くわけでもなく、そうして、ユウナとジェンナを二人きりにしておくことも心配だ。
 サーラは自ら折れることにした。それすら、腹立たしい。全てが片付いたら、たっぷり毒を吐いてやろう。
「あの男――ジェンナについて、尋ねますが」
「何々?」
 頬を傾けて、グエンはサーラを覗き込む。
 どこかホッとした様子の顔は、次の一言に凍りつく。
「貴方とジェンナが過去に知り合ったという一件は、どんなものでしたか?」
「――えっ? ああ……あれは」
 頭を抱えるようにして、グエンは俯いた。顔に落ちた影は、星明りを遮った故というより、暗い過去をそのまま貼り付けたかのよう。
「――今回と同じ、だったよ。……力を貸してくれって、言ってきたんだ。ジェンナが」
「それで、助力を?」
「そう。情報は信頼出来ると判断して、俺たちはジェンナと共に魔族のアジトに向かった。……ああ、アレは……この大陸だったな」
「この東の大陸で?」
 サーラはオウム返しに問い返していた。比較的〈ゼロの災厄〉が少ないこの大陸に、グエンたちがわざわざ渡ってきていたのか?
「ある魔族がこちらに流れたっていう、情報があってね。それを追って、俺たちもこっちに来ていたんだ。……ジェンナは、その魔族の情報を持って、俺たちに話を持ちかけてきた。だから、ガイナン――俺の師匠は、ジェンナの情報が正しいと判断したわけなんだけど」
「何か、因縁でも?」
 魔族を追って大陸を渡るというのは、余程のことがない限り実行する程のものかと、サーラは思う。
 他の冒険者たちに手柄を譲りたくないほど、高額の賞金が掛かった魔族だったのだろうか?
 訝しげるサーラの前で、グエンは腕を下ろした。星明りに照らされる端整な顔立ちをわずかに歪めて、頷いた。
「その魔族は、姑息というか。人質を取るんだ」
「…………」
「家族を持ち出されたら、誰であっても反撃を躊躇する。そうして、知り合いの冒険者が殺されてね。冒険者だけじゃない。無力な村人たちも、殺されて。ガイナンは怒っていた。絶対に、許さないって」
 絶対的な力の差を持っていながら、力ではなく脅しによって、なぶるのか。
 魔族にとって、人間なんて蟻を潰すようなものであるのだろう。
 自らが歩く道に蟻がいても、魔族は歯牙にもかけず、踏み潰していく。
 人間にとって、〈ゼロの災厄〉――つまるところ、魔族というものは一過性の災いのようなものだ。
 この運命を呪うなら、この世界に生れ落ちたことから呪わなければならなくなる。
 百年に一度の〈ゼロの災厄〉が付きまとうこと、これがこの世界の宿命なのだ。
 だから、人間は踏み潰されないように、耐え忍ぶ。そうして、僅かに持った力で反撃するだけが、人間に唯一許されたこと。叶わないとしても。
 だが、それすらも家族を盾に取られ、無力化させる。
「――ジェンナの情報では、そいつはこちらでも人質を取っていた。冒険者相手というより、支配した相手の家族を盾にとって……男たちに自分を守らせた」
「まさに――同じですね」
 人間たちを私兵として動かしているという、今回の敵もまた。あまりにも状況が似かより過ぎていると感じるのは、自分だけだろうか。
 地面に落ちた自らの影に問いかけるように、サーラは視線を落とした。
「……同じ魔族なのかもしれない……」
 微かな呟きが耳朶を打った。瞳を地に釘付けたまま、サーラは問い返す。
「――倒せなかったのですか?」
 そのときに、仲間を失っているとグエンは語っていた。ならば、敗北したのか。
 今なお、その魔族は生きながらえているのか。
 苦痛に呻くように、グエンの声が唇からこぼれていく。
「……二手に分かれて行動したんだ。……俺とガイナンとジェンナが囮役で……後の二人が人質を助ける手はずで……。囚われていた人たちを助けることを……最優先に行動したわけなんだけど……」
 瞳を上げたサーラの目に、怒りに震えるグエンが映った。


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