― 9 ― 「――罠だった」 一言吐いた後、グエンは思い直したように頭を振った。漆黒の髪が荒々しく乱れる。 サーラは唇を結び黙して、その様子を見つめた。 「いいや、罠というのとは、ちょっと違うかもしれない――手遅れだったんだ。俺とガイナンは、ジェンナの道案内で魔族のアジトに向かったんだけど、もぬけの殻だった。慌てて、人質が捕らえられている場所に俺たちが駆けつけたときには、もう皆……殺されていた」 「…………」 口を差し挟むのすら躊躇うような沈黙が場を占める。グエンはそれを厭うように、声を絞り出して続けた。 「……仲間の死体も、そこにあった。……死体の状況から、仲間が駆けつける前にはもう、人質も殺されていたんだ。……ああ、やっぱり罠だったのかもしれない」 「――そうであれば……」 前もって、グエンたちが襲撃するという情報が魔族側に流れたことになる。 「――ジェンナ、ですか?」 サーラが尋ねるように口に出した名前に、グエンの片側の頬が歪む。 藍色の瞳に鋭い光が一瞬宿り、やがて睫の影に隠れた。 黒髪に埋めていた指をそっと降ろして、グエンはため息を吐いた。 「……違うとは言いきれない。でも、魔族側に付く理由が……わからない。家族が盾に取られていたのなら、助けたいはずだ。それだったら、俺たちに手を貸した方がいい。少なくとも、魔族側についていたとしても、最後の最後でこっちに付けば」 「魔族は倒せたと?」 過剰な自信というわけでもなさそうだった。ときに、この男は根拠のない自信で大言壮語を口にするが。それでも、魔族相手に――魔人一人なら――対等に戦えるだけの技量と肉体がグエンにはある。 そして、彼の傍らには「鋼鉄のガイナン」と呼ばれる勇者がいた。 「……それこそ、罠を逆手に取られていたら、あっちも焦っただろうしね。こちらが勝っていたと思うよ」 「……灰色と言うことですか」 「まあね。第一に、ジェンナの態度は、昔から終始あんなものだったから……怪しいのか、怪しくないのか、よくわからないんだよ。普通なら、疑いを持たれないように、取り繕うところでしょ? でも、ジェンナの態度は、疑ってくれって言っているみたいでさ」 「……だから、逆に怪しくないと?」 「それも断定できないところだよ」 ここで、ジェンナを黒と断定出来たのなら、サーラとしても今後の動き方を定めやすいのだが。思い通りにはいかないようだ。 裏切りではなかったら、こちらの報酬の上前をはねようと? ――随分と姑息な手段だが、仲間を持たない冒険者にはそのくらいの汚さがないと、糧を得ることは出来ないのかもしれない。 そっとため息を唇にのせるサーラに、グエンは続けた。 「それにあのとき、ジェンナは俺たちと行動していた。あの後が、大変だったんだ」 「――何です?」 「家族を殺された人間たちが、俺たちを襲ってきた」 「何故?」 前後の繋がりが把握できずに、サーラは問い返す。 「俺達が下手に魔族に逆らったから、家族を殺されたんだって――口々に言っていた。理不尽だけど、それでも……怒りのやり場は、俺たちにしかなかったんだろうね」 唇を噛んで、グエンがそっぽを向く。 「そのどさくさで、ジェンナとは別れた。俺とガイナンは襲ってくる相手が人間だったから……まあ、手荒いことも出来なくて」 ――逃げ出したんだ、と。 噛みしめた歯の合間から吐き出された声はか細く、闇に吸い込まれるように溶けていった。 「それがあって、ガイナンは精神的に弱くなって。引退を言い出したんだよ。後は、姫も知っている通り、俺はガイナンに進められて冒険者学校に入り――ユウナちゃんと姫に会えた」 ゆっくりと振り返る藍色の瞳が、静かにサーラを見下ろす。 さっきまでの感情の揺れは収まり、静謐さを湛えていた。 「――それはね、とっても良かったことだと思っているんだ」 「酷いことがあったのに――ですか?」 仲間を失った。それまでの生活を破壊された。 それ以前の過去にも彼は悲惨な経験をしている。それでも、笑おうとするグエンが時々、サーラには理解できない。 ――どうして、そんなに笑っていられる? ふわりと、風に羽根をのせるかのような軽やかな笑みを、グエンの唇は言葉を紡ぎながら作る。 「良いことばかりじゃないでしょ、世の中は。人生にも同じことが言えるんだね。俺は絶望を知った。でもね、希望も知ったんだ」 「――それはユウナの……」 魔族から解放されたグエンが、ユウナの両親の元で暮らしていたという話は聞いている。具体的なことは知らないが。 (…………ユウナの) サーラは、自らの内側でざわつく心を感じた。それは世に言う、嫉妬という感情ではないのかと、自己分析する。 ユウナの両親の保護下にいたということは、グエンはサーラの知らないユウナを知っているのだ。 (……ズルイですね) 幼い頃のユウナはさぞ愛らしかったことだろう。今でも十分に愛らしいのだが、それとは違った感じで、可憐であったに違いない。 別に、ユウナの外見の愛らしさだけに、心を惹かれているわけではない。 純真で、真っ直ぐに前を見つめる。難しい問題を前にしても、諦めない強さがあの少年にはあった。 最初に出会ったとき、サーラはユウナを「未熟者」と罵った。普通、そんな酷い言葉を吐く女に、目的もなく近づこうとは思わないだろう。 それこそ、目的があったのなら。 グエンが近づいてきた目的は――他ならぬ、優秀な守り手が欲しかったのだ。ユウナを守るために。 そのことについては、構いはしない。今となっては、サーラ自身がユウナを守ることを望んでいるのだから。 ――守りたいと思わせたのは、何よりもユウナの一途さ。挫けない強さ。 可憐な面差しに、強い決意をのせて。 どんなに傷ついても、弱音を吐かずに前へ進もうとするユウナだから、サーラは少年と同じ道を歩きたいと思った。 何故なら、その道こそ、サーラが選んだものだったから。 そんなユウナを育てた両親の存在がふと、気になった。 ユウナの愛らしさは母親似だろうか? あの一途さは? 強さは? 「風牙のジスタ」と「紅蓮のカレナ」の活躍はサーラが冒険者の道を選ぶ前から、耳にしていた。二人の働きがどれだけの人々を救ったのか。この世界に生きている人間なら、知らぬ者はいない。その二人の魔力を受け継ぎ、優秀な両親の名をユウナは背負っている。双肩にかかる期待は、大きな重圧になるだろう。 だが、ユウナから時々聞かされる両親の話に、声は誇らしげな響きが混じっていた。 (……どんなご両親なのでしょう?) こんな風に、自分が個人に対して興味を持つなんて初めてだった。 自分の中での変化を、サーラは心地よく感じている。変化の全ては、ユウナによってもたらされたものだ。 だからこそ、これからの自分自身のためにもユウナは失くせない。守りたい。 サーラが心を横にそらしていると、グエンが熱心な眼差しを傾けて言ってきた。 「だからね、俺はユウナちゃんと姫を守るよ。今の俺にとって、大切なのは二人だから」 その熱が、こちらに染み込む前に、サーラは冷ややかに切り捨てた。 (余計なお世話ですね) こちらを守る前に、まずは己の身を守れと言いたい。この男が傷つけば、ユウナの心が傷つく。 ユウナにはグエンに対して、肉体的な心配は必要ないのだと知らしめるような策を取った。 谷底に突き落とし、森へと投げ捨て。それでも、無傷で生還してくるのだから、グエンを心配する必要なんてないのだと。 なのに、ユウナは「グエンさんは、大丈夫でしょうか?」と、心配する――ユウナが心配しているのが、それらの所業に対する心の傷だと言うことには、頭が回らないサーラである。 (……ユウナは優しすぎます) 「貴方に守って貰う必要はありません」 「……いや、あの……」 情けなく垂れ下がる眉を見上げて、サーラは凛と声を響かせた。 「ユウナは何があっても、私が守ります。例え、あの男が何を企んでいようと」 「……姫」 「貴方もそのことを、念頭に置いていてください」 そう言い捨てて、サーラは踵を返した。さらりと白銀の髪を夜風に流して、夜闇を見据える。 グエンの決意なんて、知らない。関係ない。 (私は私が選んだ道を歩く――ユウナと共に) * * * サーラが再び、眠りの床に戻るのを見送った後、グエンは再び暗闇の底に沈む街並みを見つめながら思った。 過去について話す気はないよ、と言ったが。 腰掛けた岩の上で、グエンは片膝を抱いて膝頭に自らの頬を乗せ、フッと笑みをこぼす。 魔族に囚われていた時のことは置いておいて、たった一年だったけれど、ジスタとカレナの元で暮らしていた日々のことは、サーラに語っても良い気がした。 あの日々が、今の自分を作っていると言っても、過言ではないだろう。 * * * 『――おかしい。何故、笑わない?』 やたらと真面目な顔をして、カレナは呟いた。グエンは思わず口に運んでいたスプーンを止めた。 こちらを真っ直ぐに見下ろす橙色の瞳に、何か悪いことをしただろうか? と不安なる。心当たりはないのだけれど。 『お、おかしいのは――あ、アンタだろっ?』 脇から――文字通り、腹を抱えて笑いながら、ガイナンが口を差し挟んできた。 ひきつった唇の端から、ヒイヒイっと。あまりカッコよくはない笑い声を、息の合間に吐き出して、ガイナンは叫んだ。 『飯になんてものを……い、入れるんだよ。……わ、ワライダケなんて……下手すりゃ、毒キノコよりたちが悪いぞっ!』 ガイナンの言を受けて、グエンは藍色の瞳を瞬かせた。 ワライダケというのは、食べたら発作的に笑い出してしまうという――多分、ワライダケの何かの成分が身体のどこかに影響を与え、傍目には笑っているような症状に見えるのだろう――有名なキノコのことだろうか? グエンはスープに浮かんだ具材に目を落とす。 白濁した塩味のスープに浮かぶのは、不恰好な切られ方をした野菜たち。その合間に、ジャガイモでもニンジンでもなさそうなものがチラリと見える。 ……さっき食べたのは、そのワライダケなのかな。 別段、変な味もしないし――ちょっと塩が効きすぎている気がするけれど――体調もおかしくはないけれど。 グエンはスープが納まった胃の辺りをこっそり撫でて、不安を覚えた。 『ガイナン、お前を笑わせるために入れたわけじゃない』 カレナはムッとしたように、眉間に皺を寄せて言い放った。彼女の言葉遣いは、女性としてはかなりぶっきらぼうで、愛想がない。 でも、庭に干した洗濯物から石鹸水が滴り落ちたり、野菜サラダの中に何故か、花壇の花が混じっていたり、生け花を飾った花瓶の中にニンジンの葉っぱが生けられていたり、と。 そういうのを見れば、大雑把な言葉遣いは、カレナらしいと思わせる。 『だから、笑うな』 『無茶を言うなっ! これは、俺の意図するところじゃねぇよ』 勝手に笑っちまうんだよ、と。カッコ悪い笑い声を響かせて、腰掛けた椅子の上で身をよじる。 ガイナンの人並み外れた巨体が震えるたび、テーブルの上に並んだ皿がぶつかってカチカチと歯を噛み鳴らして笑っているかのような音を立てた。木製の椅子も耐えかね、抗議するようにぎしぎしと軋む。 『だが、グエンも同じものを食べたのに、笑わないぞ』 やっぱり、さっき食べたのはワライダケのようだ。 ……どうしよう。このまま、食べ続けても平気かな? 『アンタの旦那と坊ちゃんも笑っているぞ』 ガイナンは、向かいの席に座っているジスタを太い指先で差し示した。 乙女のような面差しに満面の笑みを湛えながら、フフフッと笑い声を響かせるジスタの腕の中では、彼の息子のユウナもまたキャッキャッと笑っていた。食卓は色々な音の合唱に、騒々しい。 四歳になるというユウナは、花のように可憐で愛らしい――男の子だった。 最初見たときには、女の子だと思ったが、男の子だとジスタは言う。 嘘だと言いたくなるくらい可愛いのに、男の子らしい。 どうして、男の子なんだ! この親子は男心をガッカリさせるのが、趣味なのか? 何で無駄に可愛いんだっ! ――と。 この二人の親子を目にした世の男たちが言うであろう、心の叫び。 それくらいにジスタは乙女で、ユウナは可憐で…………そして、女性であるはずのカレナは男前な性格だった。 『この二人は、いつもこんな感じだろ』 カレナは夫と息子に目を遣ると、大して表情を変えずに言い切った。 『…………』 反駁の余地など許さない力強い声に否定できないのか、ガイナンは顔を笑いに引きつらせたまま、沈黙した。 『それより、グエン。もっと食ってみろ』 勧められた。これは食べるべきなのだろう。 スプーンを再びスープの中に浸したところで、グエンは襟首が捕まれた。気がついたときには、ガイナンの太い片腕に持ち抱えられていた。 『ガキに、おかしなものを食わすなよ』 『おかしなものではないだろう? ワライダケで死んだという話は聞かないぞ』 『そんな死因は恥ずかしすぎて、誰も言わないだけだろっ!』 『なるほど、それは一理あるな』 真面目な顔をして、カレナは頷いた。 『くそ、笑いすぎて腹が痛ぇ』 そう呻くと、力が抜けたようにガイナンは頭を垂れる。腕の拘束が甘くなったので、グエンは自らの足で床に立った。 『……前から思っていたけど、奥さん。アンタ、料理の才能ないな。ワライダケ云々をなしにしても、このスープは塩辛いぞ。この間だって、パンケーキを黒焦げにして』 ……焦げていたんだ。ちょっと苦いかな、と思ったけど。 いつの日かの食卓を、グエンは思い出した。 『なんかの拷問かと思ったぜ』 ……そこまで、美味しくなかった? 平気で食べちゃったけど。というか、歯ごたえがあって……好きだったけど。 グエンはガイナンとカレナの会話に耳を傾けて、自らの腹を再度、撫でた。 『そんなはずはない。ジスタは美味いと言うぞ、なあ?』 『僕の奥さんの料理は、世界一さ』 カレナの視線を受けると、ニコニコと笑いながらジスタは言った。フフフッと笑い声が止まない。キャキャと重なるユウナの笑い声。 ……ワライダケが効いているんじゃないかな。多分。 それを目にして、ガイナンは頭を振った。 『色ボケの発言なんて、真に受けるな。こいつにとったら、アンタが作ればなんだって一番なんだろ』 『その通り』 間髪入れずに、ジスタは頷いた。 ……そこは同意するところじゃない気がするのだけど、と。 グエンが思う矢先に、カレナの手刀がジスタの後頭部へ、ストンと落ちる。 テーブルの天板に額を打ち付けるジスタを横目に見やって、ガイナンは椅子に腰掛けなおした。 『……「風牙のジスタ」も、「紅蓮のカレナ」には形無しだな』 軽く肩を竦めるガイナンを、グエンは見上げた。そう言う彼も「鋼鉄のガイナン」と呼ばれては、冒険者たちの間では一目置かれているという。 この小さな家に、三人もの勇者がいる。 ガイナンはグエンがここに身を寄せてからこちら、この家に寝泊りをするようになっていた。次の魔族退治の依頼が入ってくるまでと言って、グエンが与えられた部屋に、我が物顔で陣取っている彼に、ジスタもカレナも文句は言わない。当然のように、食卓に並べられる五つの皿。 それが、グエンにとっては凄く安心出来た。 眠ると毎夜、悪夢にうなされるけれど。ときどき、突発的に泣きたくなるのだけれど。 そんなとき、慰めてくれる優しい手があった。小さな笑顔があった。 『それにしても、奥さん。アンタ、やり方が無茶苦茶だな。幾ら、このガキを笑わせようとしたって、ワライダケで笑ったものなんて、形だけのもんだろ』 伸びてきたガイナンの大きな手が、グエンの黒髪頭をポンと叩いた。巨人のようなガイナンだが、見た目と違って実際はかなり細やかな心配りをしてくれる。 眠れなくて膝を抱えてやり過ごす夜は、酒を片手に――グエンにはミルクを温めてくれて――付き合ってくれるのだ。 そんなガイナンの発言を受けて、グエンはえっ? と、カレナとガイナンを見比べた。 カレナは無造作に肩を竦めると、言った。 『笑い方すら忘れてしまっているかもしれない。そう思っただけさ』 『忘れていても、思い出せるだろうよ。何てったって、アンタらみたいな笑える夫婦はそうそういないぜ? なあ?』 金色の瞳が片目を瞑れば、グエンはそっと唇を緩めて笑っていた。 |