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 ― 12 ―


 力任せに振り下ろされた剣の軌跡を、白刃で受け止めてグエンは息を吐く。
 呼吸のリズムに合わせて、腕を跳ね上げるとグエンの剣はこちらを襲ってきた剣を弾いていた。
 天井の高い回廊。その広い空間を、回転しながら宙を舞う銀の剣。
 思わず目で追う無防備な胸元に、グエンは手首を返して剣の柄頭を叩きつけた。
 柄についた飾り石が肋骨に痛撃を与え、肺を圧迫する。
 ゲホッと息を詰まらせて、前かがみに崩れる男の顎を、グエンは左手のひらで突き上げた。
 刹那、仰け反るようにして倒れる男の影から、新たな刃が襲ってくる。
 グエンは半歩下がって、胸元をかすめる凶刃を避けた。そうして、目の前に延びてきた腕に折り曲げた己が肘を落せば、鈍い音がして、骨が折れる。
 ギャァと短い悲鳴を上げて、男は剣を落とした。腕を抱えて跪こうとした横顔をグエンは回し蹴りで、蹴り倒した。
 右足を軸にしたその一連の回転を止めることなく、グエンは重心を低く落として、両脇から攻めて来る別の男の足元に左足を滑り込ませる。足を引っ掛けて片側の男を転倒させると、今度は左足を軸に身体を回転させた。右足の靴底で、もう片側の男の胸を蹴り倒す。
 あっと言う間に、周りには苦痛に目を剥き、失神した男たちが転がる。
 ヒュゥと、空気を鳴らして響く口笛にグエンが肩越しに振り向けば、ジェンナがニヤリと笑っていた。
 彼は唇の端を歪めると、
「さすが、グエンだな。四人を瞬殺かよ。それにしても、不甲斐ない親衛隊だ」
 倒された男たちを冷たく見下ろして、嘲笑する。
 そんなジェンナを見やって、グエンは抜き身の剣を片手にしたまま、黙って灰色の外套を脱いだ。
 城外では、この灰色の外套はグエンたちを魔族側の仲間と誤認させたが、王城の敷地内に入ればそれは通用しなかった。
 城内に仕えている私兵たちは、固定されていて互いに顔を認識していたのだろう。そこへ見覚えのない顔が現れれば、怪しいことこの上ない。
 特に、ジェンナの頬の刺青は目立って余りある代物だ。
 尋問され、怪しいと、引き立てられそうになったところを、グエンが拳を使って強引に黙らせたのならば、その場にいた男たちが次々と襲ってきたと言う次第だった。
 現在、王城の廊下に五人の男たちが倒れている。覚醒しているのは、その五人を叩き伏せたグエンと、戦闘に一切手を貸さなかったジェンナの二人。
 グエンは灰色の外套を、赤い絨毯が敷かれた廊下に投げ捨てた。
「人聞きの悪いことを言うなよな。殺したわけじゃない」
「殺しておいた方が良くねぇ? 後で邪魔されるかもよ?」
 ジェンナは声をニヤつかせながらそう言うと、灰色の外套の下、腰にぶら下げたホルダーから、短剣を一本引き抜いた。
「止めろ。血が見たいんなら、魔族の血を見せてやるよ」
 声に怒気を織り交ぜながら、グエンは言った。ジェンナは肩を小さく動かすと、短剣を仕舞う。
「いいね、ゾクゾクするよ。オレさ、魔族の血って見たことがないんだよな。やっぱり、赤いのか?」
 唇に相変わらずの笑みを浮かべて、ジェンナが問う。その口元を見返して、グエンはため息をついた。
「――いつまで、猿芝居を続けるつもりだ?」
「は?」
 驚いたように見開かれた土色の瞳は、グエンの言葉の意味が理解できていないようだった。
 瞬く睫を暫し、グエンは無言で見つめ返した。
「…………」
「…………」
「――いつから?」
 薄い笑みを貼り付けたまま、ジェンナが問う。
「――いつから、芝居だって気付いていたわけ?」
「……知らないよ。ただ、怪しい気がしていただけさ」
 後数秒、ジェンナが無言を通していたら、グエンは自分の考えが間違っていたと思っていただろう。
 あからさまに怪しく軽薄な態度は、裏切りを疑わせた。
 同時に、裏切るような奴がそんな態度を取るのか? と、疑問に思わせた。
 確証なんて、どこにもなかった。
 今だって、グエンが止めなければジェンナの短剣は、床にのされた男たちの命を喰らっていたかもしれない。
 ジェンナが裏切り者であったのなら、仲間とも呼べる魔族側である男たちの息の根を――。
 それも、こちらを騙す芝居の一つだったのだろうか?
 こちらが止めることを端から計算していたのだとしたら、狡猾過ぎる。
 グエンは無意識に、ジェンナから距離を取った。
「……殺すつもりだったのか?」
 藍色の視線を倒れた男たちに落として、グエンは問いかけた。床に縫い付けられたジェンナの影が呪縛を解かれたように踊り、大して興味なさそうに肩を竦める。
「別に、殺してもよかったよ?」
「仲間じゃないのかよ」
「仲間なんて、オレには存在しない。だって、オレは裏切り者だぜ?」
 響く笑い声は愉悦に彩られていた。
 嘲笑は、誰をあざ笑うのか? 
 グエンが目を上げれば、もうそれは表情というより、ジェンナそのものと言ってよいような酷薄な微笑があった。
 自分を笑い、そして、自分を信じた者を笑う。全てに対して嘲る。
 グエンは剣の切っ先を、ジェンナに差し向けた。鋭利な尖端を突きつけられて、初めて表情が僅かながら不快そうに歪む。
「止めてくれよな、短気になるの。そんなに気が短いと、モテないぜ」
 横目でこちらを睨んで、ジェンナは薄い唇を尖らせた。
「裏切り者に、付き合う気はないね」
 グエンはさらりと返す。
 裏切り者だと告白する相手を前に、剣を降ろせるはずがない。そんなことは口にするまでもないことだろう。
 そんな予定調和のセリフを前に、クククッと喉の奥を鳴らして、ジェンナは笑った。
「付き合いたくなくても、付き合わないと。お嬢ちゃんとお姫さんが困ったことになるぜ?」
 彼が口にする言葉もまた、予定調和だった。
「そんなことだろうと、思った。……“解放軍”って言うのも、嘘だったんだな」
 初めから、嘘ばっかりだったのか。
 サーラのジェンナに対する不審を、灰色に濁したままにしてしまった自分にグエンは腹が立った。
 ジェンナを信用する気はなかったのに、どこかで自分の力を過信していた。彼と自分の力量の差は明確だったから、こちらの怒りを買うような真似はしないだろうと。
 少なくともジェンナは「尖っていた」頃のこちらを知っている。
 敵に容赦しないグエンは、相手が人間であっても斬ることを躊躇わない。倒れている私兵たちが、魔族の手下に自ら望んで身を投じたのなら、腕の一本でも切り落としてやるところだ。
 生憎と、彼らの本意を問い質す前に、襲われたために失神という形で意識を奪った。そして、殺そうと言うジェンナを止めた。
 全ては、彼らの意思がどこにあるのか、わからなかったからだ。
 ジェンナの言葉がどこにも信用出来ないのなら、この国を支配している魔族が過去に係わりのあった相手である可能性も否定できない。人質を取られて、私兵に下ったのなら、同情する余地もある。
 だが、同情する必要がないとするなら、グエンは人間でも斬れる。斬ってしまうこちらを、ジェンナもまた知っている。
 そんなグエンを知っていて、裏切っても大丈夫だなんてジェンナが確信しているのは、“解放軍”がジェンナの手の内にあるからだろう。
 その“解放軍”と共に、ユウナとサーラが行動している。二人の身柄が掌握されていると言ってよい。
「ユウナちゃんと姫を人質にして、俺を従わせるつもりか?」
 問いただせば、ジェンナの指がグエンの剣に触れる。
 剣の切っ先に掛かる重みに、グエンは腕の力を抜いた。手袋に包んだ右手から滑り落ちた金属は、廊下をカツンと叩く。その音は赤い絨毯に直ぐに吸い込まれた。
「人質になるみたいだな?」
 床に横たわった白刃の剣を無感動に眺めて、ジェンナはつまらなそうに鼻を鳴らした。その頬に咲く黒い花を見下ろして、グエンは言葉ではなく、頭でジェンナが裏切り者であることを理解した。
 ジェンナの頬の刺青は、目立ちすぎた。
 なのに、私兵の男たちは誰一人としてジェンナを襲わなかった。
 ジェンナが戦闘に加担しなかったから、攻撃が全てこちらに集中したというのは、そもそもおかしい。
 何故なら、ジェンナの頬の刺青が目立ったからこそ、目をつけられたのだ。それなのに、ジェンナに手を出した者は一人もいなかった。
 ――目印だったのだ、と。答えが脳内に染みてくる。
「その刺青……印だったんだな?」
 声を尖らせて低く問いかければ、ジェンナは小首を傾げた。
「何の印だって? 言ってみろよ」
 引き締まった頬の、ぴんと張った皮膚に描かれた花を指先で撫でて、ジェンナは片目を眇めグエンを睨む。土色の瞳にユラリと浮かんだ暗い炎に、一瞬、グエンは気圧された。
「…………」
「オレが代わりに言ってやろうか? ああ、そうだよ。これは奴隷の証さ。お前の右腕にある火傷の跡と同じ――魔族の所有物だっていう、な」
 グイッと一歩踏み込んできたジェンナの腕が、グエンの右腕を掴む。そして、強引に肘まである黒の手袋を剥がしにかかった。
 引っ張られた布が捲れ、グエンの右腕は外気にさらされる。
 白い肌に、焼け爛れた奴隷の刻印が白日の下、無惨に暴かれた。
 パンと、ジェンナの手を叩いて、グエンは手袋を元の位置に戻した。庇うように右腕を抱えて、土色の瞳を睨み返す。
「……何で、知っている?」
 喉の奥が乾いていた。舌が口内に張り付きそうな感覚に、焦燥を覚えながら声を吐き出す。がさがさに乾いた声が空で震えた。
「俺が……奴隷だったなんて」
 ただ一度、行動を共にしただけのジェンナに、その話をしたことはない。
 昔の仲間は知っていた。けれど、奴隷だったというだけで、この腕の火傷が誰によってもたらされたのかなんて、そこまでは話していないし、印を見せてもいない。
 奴隷に印をつける魔族は多いが、その印の付け方はそれぞれだ。ジェンナの主のように刺青を彫らせることもあれば、身体に傷をつける場合もある。
 手袋で隠したその下に、火傷の痕があるなんて、一見したところでわかるはずがない。
 それこそ、この火傷の痕を見れば奴隷であったことは一目瞭然だろうが――わざわざ、焼いた鎖を自らの腕に巻きつける馬鹿はいないだろう――火傷の痕を知っているのは、ジスタとカレナ、そしてガイナンの三人だけだ。
「――サルダ」
 ジェンナの薄い唇の間でチロリと動く舌は、獲物を前にした蛇を連想させた。
 そして、グエンは自分が蛙になったような気がした。
 サルダという忌まわしいその名前一つで――睨まれて、動けなくなる。思考が停止する。
「……魔族の間じゃ、結構有名らしいな。狂えるサルダとか、呼ばれてさ」
 薄く笑ったジェンナの頬が歪む。グエンの藍色の瞳は、残酷に咲き誇る花から逸らせなかった。
「この目印が何だかわかった以上、誰から聞いたとか、何で知っているとか、愚問だろ?」
 ジェンナは魔族側に属している。黒い花が何よりの証拠だと、ジェンナ自身が認めている。自ら下ったのか、否か。それはわかりかねるけれど。魔族の情報にも、それなりに精通しているとすれば。
(――ガイナンっ!)
 グエンの師匠ガイナンが、その昔、「風牙のジスタ」と行動を共にしていたことをジェンナは知っている。そこから、グエンの過去を辿るのは容易いだろう。
 泥沼に足を取られ、引きずり込まれるような錯覚がグエンを襲った。視界を塞がれたかのように、目の前が暗くなる。光を見失う。
(……秘密を……知られたら)
 心臓を冷たい手に捕まれたような気がして、グエンは身を竦ませた。そんなこちらの態度など気にした風もなく、ジェンナは声をニヤつかせて言った。
「それにしても、驚いたな。お前が「秘宝のユウナ」とパーティを組んでいるなんて」
 暗闇に沈みかけた意識が「ユウナ」の名に反応する。
 少年の花のような笑顔が脳裏に浮かぶと、グエンの内側をじわりじわりと侵食してくる闇が晴れた。
 そして、女神の薄紫色の瞳を思い出す。怜悧な視線を思い出すと、背筋が自然と伸びた。挫けかけたグエンの意識が立て直されていく。
 グエンはジェンナを見つめ返した。
「……秘宝?」
 ユウナに冠せられたその単語は初耳だった。反射的に問い返せば、ジェンナはこちらの顔を見据えて嘲り笑う。恐らく、かなりマヌケな顔をしていたのだろう。
「何だよ、お前。自分がどれだけ厄介なものを抱えていたのか、自覚なかったのかよ?」
「……厄介?」
 自分以上に厄介な存在なんて、グエンは知らない。
 それを承知して、ジェンナは「ユウナ」を厄介だと言うのか?
 意味がわからず目を瞬かせるグエンに、ジェンナは呆れ顔を見せた。
「「風牙のジスタ」と「紅蓮のカレナ」――その「宝」だぞ」
 ジスタとカレナにとって、息子のユウナが宝であるということは、彼らの元で一年の月日を暮らしていたグエンには今さら説明されるまでもない。
 大切に守り育てられたユウナは、世間の狡さとか、汚さを知らない。
 挫けそうになる絶望感をより、両親の前向きな強さだけを目にしているから、どんなことを前にしても諦めないのだ。
 それが、ユウナのユウナたる所以。
「二人の魔力を継いだ子供――それだけで、魔族にとっては脅威だろうさ」
「……ユウナちゃんが、狙いだったのか。まさか、ユウナちゃんを人質にして」
 ジスタとカレナ、二人の偉大なる勇者の牙を抜こうと?
 馬鹿げた考えだと思う一方で、グエンは赤い絨毯を敷いた床に横たわった自らの牙を目に留めた。
 銀の刃は冷たさを宿してはいるものの冴はなく、まるで生気を失った死体のようだ。
 ユウナを盾に取られたら……無防備になってしまう自分を知れば、あながち的外れな作戦ではないかもしれない。
 再会は偶然だと思っていたが――もしかしたら、ガイナンが引退と同時にグエンを冒険者学校に送り込んだのは、ユウナの守護者として役割を当て込んで?
 驚愕に言葉を詰まらせるグエンに、ジェンナは床から剣を拾い上げると顎をしゃくった。
「さてね。何にしても、お前は黙ってオレについて来いよ」
「…………」
「オレの主がお待ちだよ」
 無防備な灰色の背中が歩き出す。グエンは黙って従った。


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