― 15 ― 「――人間でありながら、魔族の血を引く者か」 エステナの一言にグエンはキッと、唇を噛んだ。それは間違っている。反論しようと喉を突き出た衝動は、別の声によって遮られた。 「魔族の血を引いたわけではない。人魔創造の実験の成功例だとすれば、それは魔族の血を与えられた者だ」 場に割り込んできた声に、グエンは目を見張った。エステナ、ジェンナも驚きの顔を隠そうともせず、声がした方へと振り返った。 三人の視線が集うそこは、空になったはずの玉座。 支配者だけが座することを許されたその場所に、我が物顔で悠然と腰掛けているのは、黒衣の青年だった。 漆黒の髪に氷のような蒼の瞳。秀麗な顔の右半分を黒い布地で覆っている――眼帯だ――その姿に、グエンは反射的に叫んでいた。 「――ディアっ!」 その刹那、ザクリと。 動きを封じるための刃が、身を乗り出すグエンの首もとの皮膚を肉と共に抉った。 首筋に出来た傷から溢れ出す赤い血は、肌を舐めるように流れる。しかし、床に滴り赤い花を咲かせるときにはもう、グエンの肌は傷を隠していた。 「道理で、無謀になれるわけだ」 玉座の肘掛に預けた腕で頬杖を付いて、ディアは淡々と吐き捨てた。 そうして、冷たい視線をグエンに差し向けて言った。 「無様だな、グエン」 「……ディア。――これは、お前の差し金か? ジェンナを使って、俺たちに報復しようってのか?」 エステナが恐れた相手というのは、ディアらしい。 これだけの頭数を相手に、気配を関知させない時点で、ディアがかなりの手練であることは証明される。 実際に戦ったグエンもまた、ディアの力量は他の魔族とは一線を画したものであることは身に染みて理解していた。 ディアに恐怖を覚えるのは、妥当か。 あのときの戦いはこちらに分があったから――カネリアの存在が、ディアが全力を出すのを止めていた――有利に戦えたけれど。状況が変われば、倒すのが至難な相手であることを認めざるを得ないだろう。 魔族並みの身体能力を持つグエンだけれど、ディアはさらに魔法を使うのだ。 一対一では、分が悪い。 グエンは役者が揃った舞台の構図に、状況を把握した。 ジェンナの本当の目的は「ユウナ」ではない。ディアの右目を奪って手傷を負わせた白銀の髪の女魔法師「サーラ」だった。 「秘宝のユウナ」は、ジェンナにとってはオマケだった。それでも、そのオマケは魔族に媚を売るジェンナにはこの上なく恰好な「捧げ物」になる。 魔族の敵である「風牙のジスタ」と「紅蓮のカレナ」の動きを封じる決め手になるのだ。 そして「サーラ」もまた、「ユウナ」に固執していれば、「ユウナ」を手中に収めるのが一番の近道だと思ったのだろう。 戦力分担の際、ユウナと同行することに拘っていたジェンナの意図が、今明らかになる。 サーラがユウナについて行くと言ったときの、ジェンナの焦りはどの程のものだっただろう。大人しく引いたように見せかけていたが、裏では次の手を考えていたのだろう。 そうして、グエンを人質にすることで、ユウナとサーラの動きを封じようとした。安否が確認できない距離を置くことで、グエンの動きを封じた。 ここまで来る道中で、ユウナの人間性を理解すれば、この手の作戦を思いつくのは簡単だったかもしれない。 実際、グエンは無防備になった――見せ掛けではあるのだが。 グエンの問いかけに、ディアの瞳がスッと細くなる。蒼い視線がジェンナへと差し向けられる。 氷の瞳の前に、今まで飄々としていたジェンナの表情に、初めて焦りのような緊張感が浮かんだ。ゴクンと息を飲み込む喉の動きが見えた。 「心外だな。俺がこのような輩の手を借りなければ、お前たちを殺せないとでも? 先の戦いでは確かに勝ちを譲りはしたが、負けたわけではない。負けると言うことは、死だ」 ディアが玉座から立ち上がる。ただそれだけの動きで、辺りの空気が変わる。覇気が全身から迸っているかのようだ。 「――そうであろう? エステナ」 頬を傾けるようにして、ディアは視線をエステナへと移行させた。蒼い瞳に睨まれて、エステナは身を縮める。 「……ああ、さようでございます。ディア様」 震えかすれた声で答えては、へつらわんばかりの笑みを浮かべた。その笑みを前に、ディアは冷淡な声の調子を崩さずに続けた。 「しかして、お前は俺に何と言ったか? 女にかまけて、冒険者に負けたとか。俺が負けたのであれば、ここにいる存在は亡霊か?」 「滅相な、ディア様が負けるなど。そんなことは口が裂けても、申しておりませなんだ。それを言いましたのはガデンめでございます」 「ああ、あの蛙のように無様に死んだ奴か」 そう無感動に呟いて、ディアはジェンナに視線を戻した。 ジェンナの顔色は紙のように白くなっていた。彼の薄い唇が微かに動けば、 「…………あっ」 あえぐように吐いた息が、一つの音となって零れ落ちるのみ。言葉にならない。 そんなジェンナを見据えて、ディアは問いかける。 「お前の頬にある刺青を知っている。ガデンが己の奴隷たちに記したものだな。ガデンが死んだ今、奴のものは俺のものとなった。お前は?」 グエンのあずかり知れないところで、会話は進められていた。 全てを把握することは現状では不可能だが、拾える情報でディアとジェンナの間には主従関係が――正確に言えば、前の主との間で、主と奴隷という関係が――あるらしいことがわかった。 (……でも、さっきの態度は?) 「お前は俺に従うか、否か」 答えを求めるディアに対して、ジェンナは震える声で言った。 「……オレはアンタのものになる。役に立つ。アンタに損はさせない」 一言、喉からすべり出したら、もう止まらないといった風情でジェンナは言葉を並べ立てた。 「オレは冒険者に顔が利く。アンタが憎い相手を幾らでも捕まえてやる。だから――」 「――だから、あの女を助けろ、か?」 冷ややかに告げられたその言葉の前に、ジェンナは絶句し瞠目した。立ち尽くす彼を目に留め、ディアはなるほど、と呟いた。 「似た髪と瞳の色をしていたので、もしやと鎌をかければ。あの女はお前の血縁か」 (……何の話だ?) 完全にグエンは置き去りにされていた。この場にまるで、ディアとジェンナの二人しかいないような、会話。 だが、次の一言でグエンはジェンナの裏切りの真意を知った。 「…………オレの妹だ」 ここからは、憶測だ。 しかし、その推測は外れていないだろうと、グエンは思う。 グエンがガイナンと共にこの東の大陸まで追いかけてきた魔族、それがガデンという名の魔人――もう死んだらしいが――だった。 その魔人に恐らく、ジェンナは妹を人質に捕られたのだろう。 ガデンは自分に歯向かう冒険者の家族などを人質に盾にとることで、敵対する冒険者たちを殺してきた。ジェンナもまた、殺される運命にあったのだろう。 だけど、ジェンナは別の道を見つけた。ガデンの元に自ら下ることで、妹と我が身を救った。 『――生き延びるためには何だってする、そんなもんだろ』 ジェンナが吐いたその一言に、彼の生き方が集約されている。 多分、その選択を迫られたのは、グエンが仲間を失った三年前の一件。あのときに、ジェンナの妹は人質に捕られ、妹を助けるべく彼はグエンたち一行を裏切った。 その後は、忠誠の証として頬に刺青を刻み、ジェンナは今しがたディアに語って聞かせたように、自分の価値をガデンに示したのだろう。 そうして、自分が使える駒であるうちは、妹は人質として有効であると証明した。 魔族に悩まされるこの世界で、人が安心して暮らしていける場所は殆どない。そんな中、魔族の庇護を受けるということは、ある意味強力な守りを手に入れたと言って良い。 ジェンナが冒険者を裏切り続ける限り、妹の身は安泰であるはずだった。 けれど、肝心のガデンが死んだ――ディアが殺したのだろうか? 何にしても、ジェンナは妹を守るために、新たなる主に自分の価値を改めて証明しなければならなくなったのだろう。 かたやエステナは、ディアに対して機嫌をとらねばならないことをしたらしい。恐らくは、先月のカネリアとの一件で、ディアが一冒険者「サーラ」に右目を奪われたことを侮辱でもしたのか。 ディアの顔色を伺わなければならないジェンナとエステナは結託して、ディアに「サーラ」を捧げることを計画した。 ――それが、今回の一連の騒動の始まりか。 グエンは苦い思いを噛みしめた。 サーラの情報は直ぐに掴めたはずだ。グエンたちは積極的に魔族を退治して、評判になるように努めたのだから。 全ては、ディアの報復が他へと及ばないようにするためだったが。それがこのような形で利用されるとは、さすがにグエンもサーラも想像していなかった。 それに冒険者であるジェンナは、ギルドへの出入りも自由だった。後を追うのは簡単だ。 サーラの仲間に、自分がいることを知ったジェンナは都合が良いと考えたのだろうな、と。グエンは皮肉に歪みそうになる唇を、ひき結んだ。 接触に気を使う必要もなく、何かあれば「秘密」をチラつかせば良い。 魔族の奴隷だった過去はともかく――ユウナには、何一つとして知られたくはないが――この身に魔族の血が流れていることは、誰にも知られたくはない。 魔族が憎いとか、全ての魔族を否定する気は、今のグエンにはない。 ただ、この血を与えられた経緯が忌まわしく、その過程は誰もが眉を顰めるものだろう。 自分のことで、大切な誰かが傷つくのが嫌だ。特にユウナは、知らない誰かが苦しんでいることを想像するだけで、心痛める優しい少年なのだから。 ユウナの花のような笑顔を守りたいと思ったときから、グエンの新しい人生が始まった。絶望という闇が明けた。未来へと歩き出すことを決意した。 その少年の笑顔を曇らせたくないグエンにとって、ジェンナが持っている「グエンの秘密」は強力な切り札だった。 その意味をジェンナは重々、承知していたのだろう。 彼自身が奴隷であるが故に――ジェンナも好きこのんで、魔族の元に下ったわけではなかったのだ。ただ生き延びるために、奴隷なることを選び、刺青を刻んだ。 そうして、ジェンナは己が目的を果たすため。裏切りを前提に、グエンたちに近づいてきた。 ――――妹を守るために。 「……ジェンナ」 そっと声を吐き出してグエンが名を呼べば、引きつった顔で振り返ってきた土色の瞳は、背後から囁かれるディアの言葉によって、さらに大きく見開かれた。 「妹を救いたいのなら、その手でグエンを殺してみろ」 「なっ?」 ディアを振り返るジェンナを無視して、蒼い瞳は静かに動いてこちらへと流れてきた。床に跪くグエンを冷淡に見据えて、ディアは笑う。 「お前は、俺がこのような策略を企てたと言ったな? それは侮辱に等しいが、お前はこの程度で死ぬのか、グエン?」 問いかける瞳は、違うだろう、と語っていた。 この程度で死ぬわけはないだろう、と断言していた。 グエンは黙って、前方で交差し首筋に触れている槍の先を両手で握った。突端の刃が手袋を引き裂いて、皮膚を抉る。 じわりと布地に染み込んで、にじみ、流れ落ちる熱い体温に構わず、グエンは冷たい刃を握り込んだ。 槍を握っている男たちが、必至になってこちらを押さえつけようとする力を、凌駕してグエンは両腕を交差させることによって手前に引っ張った。そうして、二本の槍をやすやすと男たちの手から奪う。 後方から押さえつける二本の槍がまだ肩の上にあったが、グエンは膝を起こして立ち上がる。 二本の槍が慌てて引かれ、刃がグエンを斬ろうと振り上げられるさまを藍色の瞳は肩越しに見やる。 魔族の動きに比べて、人間のスピードは簡単に目で追えた。 ――遅い。 グエンは奪い取った槍を両腕に抱えて、右足を引いて身体を回転させた。 振り回された槍は重く、グエンの右前にいた男の脇腹を強打した。柄に身体を引っ掛けられた男の体重がそのまま、右後方の男へと圧し掛かる。 絡まって倒れる男たちを尻目に、グエンは槍を一本捨てると、頭上で槍を一回転させて、石突で左後方にいた男の腹を突き、手首を返し床の上を滑らせるようにして、左前方の男の足元を槍で掬った。 不意をとられた男は肩から床へと転倒する。転がるその男へ、瞬時に距離を詰めたグエンは握った拳を叩き込んで、意識を奪う。 傷が痛いな、という感慨が自意識に染み込んでくる頃――もう傷は塞がっていたが――グエンはただ静かにディアを見返していた。 視界の端に目を剥くエステナと、呆気にとられている――傷が跡形もなく消えているのを見て驚いているらしい――ジェンナが映る。 ディアはどこか楽しそうに口元を緩めて、声を響かせた。 「それが――答えだ」 「――ああ」 グエンは低く答えた。 こんな策略を企てることが無意味であることを、ディアは知っている。実際に、無意味であることをグエンは証明した。 牙を抜かれても、グエンにはまだ爪があった。 第一に、この程度でくたばるグエンをディアは許しやしないだろう。 プライドの高そうな彼のことだ。対等に戦ったグエンの弱さを認めない。ディアの瞳は、雄弁にそれを語っていた。 そして、グエンの強さを確信しているディアが策略を巡らせるのなら、牙を抜くだけではなく、爪を剥がすまで、徹底的に詰めるだろう。 今回のことは、グエンの能力を見誤った者の、詰めの甘さが露呈した失策。 わざわざ危険な冒険者を懐へと招き入れてしまった――エステナとジェンナの。 グエンの思考を読み取ったように、ディアの声が告げた。 「――興ざめだな、エステナよ」 びくりと震え、エステナがぎこちない首の動きでディアを振り返った。 「――お前が面白いものを献上してくれると言うから、こうしてわざわざ俺から出向いてやったものを」 恩着せがましい言葉を選んで、唇は残酷に歪む。 ジェンナが見せる嘲笑より、ずっと悪意に満ちた微笑が、ゆっくりと語りかける。 「――せめて、その身でそこにいる者の心臓を引きずり出して」 「……ディア様」 「俺を楽しませるがいい。さもなくば、ガデンと同じ末路を辿るか?」 |