― 16 ― 緊張に張り詰めたその場に、ディアの声は冷酷に響いた。 喉を鳴らして、息を呑むエステナ。 ジェンナの唇は血の気が失せ、白く乾いていた。 二人は自分たちの計画が何の功も奏さないことを、その一言で理解したらしい。 グエンはただただ、ディアを睨みつけてきた。皺を寄せた眉の下、藍色の瞳に炯々と灯る怒りは利用される現状に対してか。 ディアが吐き出した言葉。それは死刑宣告だった。 エステナでは、グエンを相手に死闘を演じるには役不足だろう。 魔人と人間が一対一で戦えば、勝者は明らかだ。熟練した冒険者でも、魔人相手に一人で勝てない。故に、人間は能力値の差を埋めるべく「仲間」とつるむ。 本来ならグエンが孤軍奮闘しても、魔法を扱える魔人のエステナには勝てる要素はない――はずだった。 しかし、グエンは人間ではない。 正確に言えば、人間ではあるのだろう。人間であったのだから。 魔族の腹から生まれたわけでも、魔族の血を引いて生まれたわけでもない。 人として生まれて、人として死んでいく運命を強引に捻じ曲げられた結果、グエンは魔族のような治癒力と身体能力を身につけた。 魔人たちの間でその昔、話題になった――「人魔」 それは、人が魔人に作りかえられた成功例に与えられた名称。 人を魔人に作り変えるなんて発想自体、馬鹿馬鹿しく、狂っていると評判になった。 魔人の女は少なく、人の腹を代替に子孫を残そうとしても、失敗するのが当たり前になっていた。中には、魔族の血に適合して生まれてくるが――これを「半魔」と呼ぶ――それでも、勢力を拡大させるに必要となる手駒を揃えるには、何千という人間の女が必要になる。 だから、魔人の男たちは自らの能力を高めて、同族の女を手に入れようと奔走する――ディアでさえ、たかが一人の女のために、足しげくこの大陸に通ってきたのだ。 全ては魔人の女が、男たちに比べて圧倒的に少ないのが原因だった。寿命が長寿であるから、種族全体の衰退は心配するほどのものではない。 けれど、魔族の上に立ちたいという支配欲がある男たちには、自分の血を引く血族は絶対条件だった。 能力が全ての魔族において、裏切りなどは珍しくもない。だが、血を同じに分かつ者を裏切ることだけは、最低行為と認識されていた。その理を逸脱した者は全ての魔族から阻害される。つまり、血族が多ければ多いほど、その一族は魔族の間で権力を得る。 サルダ・アンバースターという男も――ディアは直接、サルダを知らないが。話だけは聞いていた――支配欲に取り付かれていたのだろう。 自分の子孫を残すために、人間たちの村々を蹂躙し、女を攫った。そのついでに、男たちも捕まえた。労働力にするためと同時に、実験に使うため。 恐らくグエンは、そうしてサルダに捕まったのだろう。 その後、魔族の血を与えられ――本当なら適合しないはずの血が、適合して生き延びた。魔族の血はグエンの肉体を改変し、人とは違う生き物へと作り変えた。 それが「人魔」――グエンは現在確認されている、ただ一人の成功例。 どのような実験過程において、グエンが「人魔」になったのかは、サルダが冒険者に討たれて死んだ今となっては、誰にもわからない。 偶然か、綿密な計算によって生み出されたのか――十中八九、偶然だろう。成功を見越していたのなら、子供が生める女で試したはずだ。 何にしても、確かなことはグエンが人間の常識の枠に収まらないということ。その彼は、魔法は使えないが卓越した剣術と格闘術を身につけていた。ディアでさえ、翻弄されるほどに、その技量は目を見張るものがある。 エステナとグエン――大体、自分を苦しめたグエンがエステナ如き相手に倒れるなど、許されない――二人の能力を比べれば、ディアはグエンの勝ちを確信する。 確信して、エステナに「グエンを殺せ」と命じる。 「死ね」と、言っているようなものだった。 「……しかしっ」 エステナが顔を引きつらせた。自分に戦闘能力がないことを知っているのだろう。 先ほどのグエンの動きを目にして、自分の敵か否かを見極めた。そうして、悟った。勝てる相手ではないことを。 このような策略を企てた時点で、エステナには刺青の男から――ジェンナと、グエンは呼んでいたか――グエンの話はそれとなく吹き込まれていたはずだ。 回りくどい方法を取らざるを得なかったのは、グエンの力量を見越してのことだ。 「言い訳をするその舌を抜いてくれようか? ガデンのように」 頬を傾けてディアが告げれば、エステナはブルリと身を震いあがらせた。 ガデンがディアによって、舌を抜かれた後、心臓を潰され殺されたことを知っているのだ。 カツンと靴音を響かせて、ディアが一歩前に出ると、弾かれたようにエステナはグエンへと襲い掛かった。 ディアとグエンのどちらを敵にするかという判断で、エステナはグエンを選んだ。まだ勝てる見込みがあると判断したのだろう。 爪を伸ばして襲い掛かるエステナに、グエンは一歩後方に飛び退り、手にした槍を回転させた。 剣術だけではなく槍術もこなすのかと、ディアが目で追えば槍というより棒を扱っている感覚に近い。振り回した槍でエステナの足を引っ掛けようとするが、エステナは素早く横へと逃れる。グエンの脇に回りこんで、爪を伸ばす。 鞭をしならせるように、エステナは腕を振るった。描かれる鋭い軌跡を前に、グエンは槍の長柄を横にして、盾とした。 (――止められない) 鋼鉄の剣ならともかく、槍の柄は爪を受けて、スパッと切断される。鋭い爪先はグエンの上着を切り裂いて、鍛え上げた胸元に朱色の線を刻み込んだ。 (――ぬるい。その程度では、止められない) ディアは、エステナの詰めの甘さに笑った。 案の定、グエンはエステナを軽蔑するように藍色の瞳を眇めたに留め、苦痛を現すことはしなかった。己の身が傷つくことを厭わない彼にとって、この程度の傷は何の障害にもならない。 半歩引いて重心を僅かに落とすと、グエンは右腕を前方に突き出した。二つに別たれた槍の柄でエステナの肩を突く。 エステナが仰け反るところをグエンは一歩踏み込んで、左腕を払った。 先端の片刃がエステナの肉体に叩き込まれる。刃は服を裂き、肉を抉る。 己の身体から赤い血が滴り落ちるその様に、エステナは細い眉を顰め、傷を庇うように肩を抱き、身を屈めた。唇の端から呻くような声が漏れ、顔が激痛に歪む。 (――弱いな) 冷淡な眼差しで眼前の戦いを見つめるディアには、痛みに怯み、戦闘態勢を簡単に崩してしまうエステナの弱さが無様でしょうがない。 魔族であるなら、多少の傷は捨て置いても構わない。だが、エステナは痛みに戸惑う。 戦うことに慣れていない、エステナの弱さがこんなところで露呈する。 人質を取ることで、冒険者たちとの戦いを回避してきたツケは、やはり命で贖うことになるのだろう。 (――終わりか) 勝負の結果など、端からわかっていたことだが。まだ、数分も経過していないと言うのに落ち着いてしまう結末に、ディアは落胆を隠せない。 エステナが「サーラ」を手に入れて、献上したいと言ってきた。 己の片目を奪った冒険者の女、サーラに執着しているディアに、「サーラ」を差し出すことで先日の侮辱の一件を水に流してもらおうという、エステナの浅はかで見え透いた魂胆に乗ってやったのだ。 なのに、肝心の「サーラ」の姿はなく、グエンだけがいた。 エステナとジェンナの会話を盗み聞いたことで、ディアにとっては「人魔のグエン」も興味を引く対象には、なった。 実際に、命を賭けるような戦いをしたのだ。そして、勝ちを譲る結果となった。貸しは返してもらわなければならない。 だが、この現場でグエンと戦うつもりはない。現状では、グエンが不利すぎる。 言い訳もできないような万全な状況下で、グエンを。サーラを。ユウナを。叩き潰してこそ、右目に刻まれた屈辱が晴らされるだろう。 だから、ディアはこの場では傍観者に徹することにした。なのに、舞台は幕が上がって間もないというのに、終ろうとしている。 ――つまらない。もっと楽しませろ、と。ディアは鼻を鳴らす。 同時に、エステナにそれを求めることが土台無理な話であることも承知していた。 結局エステナとは、その程度の輩なのだ。 グエンが槍を捨てて、腰に佩かせた剣を抜く。頭上にかざした銀の刃が、エステナへと振り下ろされかけたその瞬間、金属音が響いた。 それはさすがのグエンも予想していなかったらしい。藍色の瞳が驚愕に揺れていた。 「……ジェンナっ?」 グエンの剣を弾いたのは、ジェンナの剣だった。 刃を横にして、エステナを庇うように刺青の男は立ちはだかる。 頬に咲いた黒い花が歪んでいるのは、緊張からか。 場に躍り出たのは良いものの、どうしたらいいのかわからない、といった戸惑いが細い目の奥で、土色の瞳を泳がせていた。 グエンは剣を握った腕を引きながら、いつでも体勢を戦闘に移行できるように構えは崩さないまま、ジェンナを見つめ返して、問いかけた。 「そいつを庇うのか、お前はっ!」 「しょうが……ねぇだろ」 覇気のない声が、引きつった笑みの端からこぼれる。 「今さら、引き返せないだろうが……」 ちらり、と。ジェンナの視線がこちらへと向けられた。視線が交差する一瞬で、ジェンナの意図をディアは読み取る。 『妹を救いたかったら、その手でグエンを殺してみろ』 ディアが放ったその言葉に、ジェンナは応えようというのだ。 勝てる見込みなどないことは、承知しているのだろう。悲壮感が震える剣の切っ先に見て取れる。 ――何故、そうまでして。 追い詰められたジェンナの心情は、グエンにも伝わったらしい。黒髪の剣士は口角を下げて、渋面を作った。 「やるしか、ないんだよっ!」 苦悩を搾り出すように一声を吐いて、ジェンナは一歩踏み込んで剣を振るった。 横に薙ぎ払われる切っ先を、グエンが下段から弾き返す。力量の差は語るまでもなく、跳ね返された剣に腕を持っていかれて、ジェンナの肩が開く。 無防備なそこへグエンの左腕が伸びれば、ジェンナが纏っていた灰色の外套を掴む。服をわし掴みにした左手を強引に横へと流して、ジェンナを引きずり倒す。 肩から倒れこむジェンナを横目に、エステナへ向き直ろうとしたグエンは刹那、床に靴底を叩きつけて後ろへ飛んだ。 「<――噛み砕け、竜の牙っ!>」 グエンが立っていた床に叩き込まれる衝撃波は、磨かれた床を削っていく。 魔族特有の治癒力で、傷から立ち直ったエステナが魔法呪文を唱えたのだ。 「――テメェはっ!」 グエンが大口を開け、怒りもあらわに咆える。 衝撃波の規模はなかなかに大きい。グエンだけではなく、ジェンナやエステナの私兵に下った人間たちを巻き込むほどに。 向かった先が少しずれていたら、床にのされていた私兵たちは、無惨な肉塊へと姿を変えていただろう。 そのことをグエンは怒っているらしい。 人間なんて、魔族にとっては使い捨ての駒でしかないことを承知していても、グエンは怒る。その感情は、間違いなく人間だろう。 魔族の血が、どんなにグエンの肉体を変化させようと。精神はどこまでも人間であるから、グエンは「人間」に拘るのか。 冷淡に観察を続けるディアの目の前。グエンは怒りに染まった瞳でエステナを睨み付けた。そうして、床を蹴って距離を詰める。 再び、呪文を唱えようとするエステナに、グエンは襲い掛かる。 魔法を塞ぐ手立ては呪文を唱えさせないことだと、冒険者は知っている。最も、それを知っていたところで魔族と人間との能力の差では、結果は虚しい。 だが、グエンは「人魔」だ。速さが、他の冒険者たちに比べ抜きん出ていた。 剣の切っ先がエステナの喉を突こうとしたところで、グエンの背中に短剣が空を割いて飛んだ。人間離れした身体能力で、グエンは身体をよじると短剣を叩き落した。 床に転がる短剣を確認する間もなく、エステナの声が響く。 「<――咆えろ、竜よっ>」 先ほどの衝撃波より規模は小さいが、その分凝縮された力の塊が放たれる。 グエンは後方へ鮮やかに宙返りをしながら、避けた。衝撃波は床から身を起こしたジェンナの脇をすり抜けて、壁に衝突する。石の壁が砕ける音が鼓膜を震わせた。 微かな振動が床を這う。 グエンは揺れる床にバランスを崩したのか、着地の際に片膝をついた。そうしながら、肩越しにジェンナを振り返る。 「邪魔をするなら、殺すぞ。――ジェンナ」 グエンは唇の動きも明確に告げた。冷厳なその声は、彼の本気を伝えていた。 怒りを宿していた瞳の熱は消え去り、ジェンナを冷たく見やる。 ヨロリと、力なく陽炎のように立ち上がったジェンナは、冷酷な視線の前に立ちすくむ。動けなくなった彼に見切りをつけるように、グエンは顎をそらしてエステナへと向き直った。 眼光だけで相手を射殺すことが出来るかのような錯覚を生み出すグエンに、圧倒されたのかエステナは魔法呪文を唱えることを忘れていた。 そこへ一歩、踏み出そうとするグエンを目にして、ディアは口を開いた。 「――妹を助けるのではなかったのか?」 声を放った瞬間、藍色の瞳がディアを仰いだ。 「余計なこと、吹き込むなっ!」 叫ぶその声に、ジェンナが我に返ったように動く。 床に打ち付けた身体を引きずるようにして、グエンへと駆け寄れば剣を突き出す。 呆れるくらいに遅い切っ先を弾き返したグエンに、今度はエステナの爪が背後から襲う。 距離があれば魔法で攻撃する猶予がある分、避けられることを考慮に入れて、接近戦へと持ち込むつもりらしい。ジェンナと連携すれば、勝てると思ったのか。 身体を横にずらしてエステナの爪を避ければ、ジェンナが剣とは別に、左手に短剣を握って突き出した。 左右を挟まれて、別々に仕掛けられる攻撃に、グエンは剣を器用に操りながら防ぐ。その動きは舞でも踊っているかのように軽やかではあるが、明らかに防戦一方だった。 (――同情するのか) ディアはグエンの動きに左目を眇める。 ジェンナを焚きつけたのは、グエンが実際にどこまで非情になれるのか、知りたかったからだ。 どんな事情があったにしろ、裏切りは許されない。斬り捨てられる覚悟をなくして、裏切りなど働けない。ディア自身、いつか裏切ろうとしている相手がいる。そのことで、危うい立場に追い詰められる場合があったとしても、覚悟はしている。 裏切りが明らかになったとき、許すか、断罪するか。 グエンはジェンナを前に問われていた。それは同時に、剣士としての資質を問うものでもある。 感情に流されるようであれば、グエンも最終的には自分の敵にはならない。 実際のところ、手加減をする姿勢がグエンを逆に追い詰めていた。 同情を切り捨てれば、彼の剣は鋭さを増して、ジェンナとエステナを屠ることなど簡単であるだろうに。 グエンは唇を噛んで、爪と剣を弾き返す。このままでは、おし負ける。 (――その程度か) 失望させてくれるなよ。自分を追い詰めたグエンがこの程度のことで、命を落すようなことはあってはならない――。 そう胸中でディアが呟いた瞬間、謁見の間の扉がバンと、大きな音を立てて開かれた。 踊りこんでくる人影が声も高らかに、名を叫ぶ。 「グエンさんっ!」 命のやり取りをしている切迫した場に響く、悲愴でありながら可憐さを失わない声。その主は淡い茶色の髪を乱しながら、こちらに駆け寄ってくる。 その傍らにピタリと付き従うのは、白銀の髪をたなびかせる美貌の女神。 ユウナとサーラの闖入に一瞬、ディアの意識は反れた。 (――――サーラっ) 視線がそちらへと引っ張られた。薄紫色の宝石に釘付けになる。眼帯の下の義眼が熱を持ったかのように、存在を訴えかけてくる。燃えるは、憎しみか恨みか。内側で爆ぜる感情がディアを前に突き動かそうとした瞬間――その熱を冷ますかのよう、 「――お前はもう、死んでいろ。ジェンナ」 視界の外で、グエンの声が耳に入り込んできた。 その言葉の意味を求めて、蒼い瞳を動かせば、グエンの剣がジェンナを刺し貫いていた。 ジェンナの身体の脇腹から背中へと、貫通したグエンの剣の切っ先から、鮮血が涙の雫のようにゆっくりと――落ちた。 |