― 3 ― 「――何で?」 私は涙目になっている自分を、自覚する。 「――何で、私なの? だって、私なんて……」 中途半端で、頼りない子供よ。 ハゲ親父が持ってきた婚約話は、私のコンプレックスを刺激した。 勝手に決められた未来に腹を立てることも、反抗心からフタバを拒絶することも、全部が全部、自分の子供っぽさを突き付けてくる。 どうしようもない、子供であることを思い知らされる。 私だって、支えてあげたかった。 母の遺影の前で泣いているハゲ親父に言いたかったの。 ――まだ、私がいるよって。 でも、ハゲ親父には私は頼りない子供でしかなくって。不安でしょうがないから、婚約者を用意した。 ――しっかりしなきゃ、支えてあげなきゃ、助けてあげなきゃ。 そう胸に秘めた決心は、私の内側だけで空回り。情けなくって、婚約に反発することしか、私にはできなかった。 ……そんな子供っぽい私のどこを、フタバは好きになったというの? 「僕の父とミキさんのお父様が友人関係にあることは、承知していますよね」 俯いた私の頭の上で、フタバが言う。 「……友人っていうより、会社の……」 穏やかな声音は、子供をあやすように、諭すように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。 「会社繋がりもあります。どちらも、先代から続いている会社ですから。だから、親戚付き合いにも似て、父とミキさんのお父様は幼馴染みと呼べるような関係でした。互いに、それぞれの会社を継いだので、上下関係が出来てしまいましたが、父はお父様を今でも友達だと紹介していますよ」 フタバの父親――オモロイ社長さんとは、一度、母の葬儀の場であったことがある。父より幾つか年上なのに、若々しく見えた。それでいて、貫禄のようなものがあって、うちのハゲ親父とは別格に見えたっけ。 その人の隣には喪服をきた綺麗な女の人がいて、多分、奥さんだったろうな。そう思い出せば、フタバの顔立ちは母親譲りなんだと知る。 とても仲が良さそうに見えたから、政略結婚じゃないと思う。うちのハゲ親父と母の結婚も恋愛結婚だって聞いている。 そんな二人が、万が一のことを考えたとしても、私に政略結婚を強いるものかしら? 動揺から立ち直った頭に疑問が過る。 「ですから、ミキさんのお母様がお亡くなりになられたとき、僕たち兄弟も葬儀に列席しました」 「……えっ?」 驚いて目を上げると、そこにはフタバの顔。 ――近いっ! 近すぎよっ! 再び、私は動揺させられる。 この人、天然のタラシじゃない? 激しく鳴っている心臓を抑え込んで、私は心で毒づく。 この心音、まるで負けを認めるみたいで嫌だわ。 私はまだ、婚約を認めたわけじゃない。だから、フタバを好きになったりしちゃいけないの。 そう、自分自身に言い聞かせて、心音を静めようと試みる端から、 「その時、僕はミキさんに会ったんですよ」 フタバは私の心を揺さぶっていく。 「――そして、貴方に恋をした」 私の視界をかすめたフタバの手が、ふわりと私の頭に乗る。 手のひらの温度が髪を通して伝わって来た。 接触を意識すれば、一気に体温が上昇する。血が頬に、頭に昇って行く。自分の顔が真っ赤になっていることは、鏡を見なくてもわかる。 血流が身体の内側を巡る音が響いている。耳の奥で、どくどくと鼓膜を叩き破らんばかりに響いている。心臓が破裂しそう。目眩がする。 フタバに恋なんてしていなのに、男の人に迫られたら、こんなにドキドキするものなの? どうせ私は、恋に恋する乙女よ。 本当の恋愛なんて知らないし、誰かに迫られたこともないもの――婚約者がいるって聞いたら、気のあるそぶりを見せてくれていた男の子たちも、引いて行ったんだからっ! ことごとく、私の邪魔をしてくれた形だけの婚約者に、負けてなんてなるものかっ! 何度も言うけど、私はまだ、この婚約もハゲ親父のことも、認めていないし、許してもいないんだからっ! 勢い込んで、フタバと対決しようと顔を上げる。 けれど、フタバの熱視線を前に、私の鋼鉄の決意は溶鉱炉で、へなりと溶かされる。 我ながら、情けないわっ! 「……何、言って」 「涙を堪えていたでしょう」 フタバの声に触発されて、蘇る記憶。 「お父様のために、泣くのを我慢していたミキさんを見つけて、僕は声を掛けたんですが……覚えていますか?」 そっと問いかけるフタバに、私は唇が震えた。 お線香の香りと、躊躇いがちに囁かれていた慰めの言葉。すすり泣くハゲ親父の傍から離れて、私は人気のいないところでこぼれそうになる涙をこらえていた。 傍にいたら、決意もむなしく泣いてしまいそうだったから、一人で我慢していた。 そこへ通りかかった人が、私の初恋の人。 顔も名前も知らない。ただ、私の頭を撫でてくれた手のひらの温度と変性する前の幼い声の思い出しか、残っていない。 ……あの初恋の人が…………。 「……フタバだったの?」 知らずに伸ばした手が、フタバの腕を掴む。 フタバは頷くかわりに、微笑んだ。 優しい目元。穏やかな視線。 あの日、涙をこらえて俯いていた私には見えなかったもの。だけど、手のひらの温もりとともに感じていたもの。 「あの日、出会った女の子に僕は心を囚われました。自分だって悲しいだろうに、お父様のために涙を堪える健気さに、いじらしさに。この子を包んで上げられる強さが、僕にあればいいのにと――出会ったその次の瞬間、強く願っていた」 フタバの告白を前に、私の心が揺れる。 動揺とは、ちょっと違う。波間にもまれるような感覚。少しずつ、フタバに引き寄せられていく。 ……フタバがあの人なら、私は多分、フタバを好きになることに迷わない。 ――けれど。 「……だけど、私は……」 「ミキさん」 柔らかな声音が、私の名前を口にする。 「未来」という名前。 私の未来をこのまま、フタバに預けていいの? 自問自答する。 フタバのことは、好きになれると思う。フタバが初恋のあの人なら、好きになりたい。 ――けれど。 やっぱり、私は子供だ。素直になれない。未熟な自分へのコンプレックスが、疼く。 「まだ、駄目よ」 「えっ?」 戸惑い気味のフタバの声に、私は顔を上げる。 「やっぱり、結婚は駄目。だって、例えフタバが私を好きになってくれたとしても、婚約はハゲ親父の策略でしょ?」 「……ハ、ハゲ?」 フタバが驚いたように、目を見開いた。ちょっとだけ、男前が崩れたわ。何だか、してやったりの気分。 その表情を見て、私は確信する。 フタバが知っている私は、昔の健気な私。 今も勿論、それなりに健気なつもりよ? でもね、勝手に決められた未来を黙って甘受するほどに、淑女でもないの。 「ハゲ親父の策略に負けてなるものですかっ!」 そう、私の未来は私のもの。萎れていた私の意地が、蘇る。 「フタバ、私と婚約解消して!」 「ちょっと、待ってください。あの、僕の話を聞いてくださいましたか?」 「聞いていたわ。聞いたからこそ、思うの。親に決められて、婚約した者同士じゃ、結局、恋愛結婚にはならないわ」 「互いが惹かれあっていれば、形はどうでも」 「私は恋がしたいのっ!」 そう。勝手に決められた道筋にそっての、恋じゃない。 もし、フタバと恋をするのなら、何もないところから始めたい。 家とか、会社とか、他の誰かの思惑なんて関係なくて、私がフタバじゃなきゃ駄目なんだって、思えるくらいに。この人しか、好きになれないというくらいに。 それくらい、好きになりたい。 第一に、今の私はフタバに相応しい女の子だと言える? 今のまま結婚したって、私は後悔しかしないと思う。 少なくとも、自分自身が一人前だと思えるような自分にならなきゃ、フタバを恨むし、ハゲ親父の小心であるが故の横暴さをずっと、罵っていくことになる。 そんなの嫌よ。 嫌だから、私は婚約を認めたくなかったし、恋をしたかった。 自分で、未来を決めたかったの。 子供染みた反発心もあると思うけれど、心の底からフタバを好きになれたのなら、きっと婚約だって受け入れられる。 ねぇ、そう思わない? そう私が熱弁を奮い力説すれば、目の前のフタバは、前髪が落ちる額に右手を添えた。 頭が痛いという――そんな格好に、思わずムッとなる。 わかっているわよ、自分でも「恋」にこだわっているなんて、子供っぽいと思うわ。 思うけどねぇ……って、あら? フタバの肩が小刻みに揺れ、喉の奥で押し殺したような笑い声が響いた。 「――くくくくっ」 私の目の前で、フタバは身体を折り曲げると、ハンドルに顔を伏せ、お腹を抱えるようにして爆笑している。 えーと、その。これって……私、笑われている? 呆れられるならともかく、笑われているって、どういうこと? 目をパチパチと瞬かせていると、フタバの横顔が上目遣いに私を見た。 「お父様から、ミキさんと結婚しようとするなら、一筋縄ではいかないだろうと聞かされていました」 笑い過ぎて、泣いていたみたいよ。目尻を指先で拭いながら、フタバは身体を起こした。 「きっと、勝手に婚約を決めれば、ミキさんの反感を買うだろうとね、言われていたんですよ」 「…………」 「それでも、僕は構わなかった。ミキさんを僕だけのものに出来るのなら」 この人、天然でしょっ! そんなセリフ、普通なら恥ずかしくて言えないわ。 いえ、私が知らないだけで、世の恋人たちはこんな恥ずかしいセリフで愛を囁き合っているの? 今度、セイカちゃんに聞かなくちゃ。 なんて、私の思考が横道にそれているところへ、フタバは衝撃的なことを告白してくれた。 「婚約は、僕がお父様に持ちかけたのだと言ったら、ミキさんは怒りますか?」 |