― 1 ― 「お前さ、男のくせによくもまあ甘いものをそう、次から次へと食えるな?」 半ば、呆れた風な キラキラの金髪に髪を染められた天河さんは、少し不機嫌そうなお顔で、 「チョコレートパフェ、一つ。お待ちどう様デシター」 どこか投げやりに声を響かせ、言葉と共にそれはテーブルの上に静かに置かれました。 ガラスの器に盛られたチョコレートのアイスクリーム。色とりどりのフルーツが脇を飾り、板チョコやら生クリームが添えられています。 甘い香りがテーブルの下に鎮座しているわたくしの鼻腔を軽やかにくすぐりました。 「そういう天河は菓子作りが上手いくせに、あんまり甘いの、好きじゃないよな?」 スプーンで掬ったアイスクリームを口へと運びながら、日向さんは笑いました。人が良さそうな笑顔に白い歯を覗かせて。 ここは、日向さんの幼馴染みである星野天河さんの、お兄さんが営んでいます喫茶店「ベガ」です。 わたくしの飼い主である結城日向さんは、陽子お母様から頼まれましたお買い物帰りに休憩と称して、先ほどから「ベガ」の売りの一つである菓子類を二つ、三つと食されています。 ガトーショコラに、チョコレートムース、そしてチョコレートパフェと。チョコレート尽くしの品々を日向さんは平らげていきます。 「バイト代が入ったんだから、たまには贅沢もいいだろ? この間は、チーズ系だったから、今日はチョコレート系にしただけさ。それに甘いものは疲れを取るって言うし」 「そうして、ネコには高級ドックフードか」 天河さんの視線が、わたくしの元へと降りてきました。 わたくしの前に置かれました小さなお皿。それに盛られた茶色い小粒の食べ物は、日向さんが労働の成果として頂いたお金によって わたくしのような雑食の生き物のために、神経細やかに選び抜いてくださったドックフードは、それはもう大変美味しゅうございました。 「まあ、お前の金だからどうでもいいけど。でも、ドックフードより、さっきからお前が食っているチョコパフェを物欲しそうに見ているぜ、ネコは」 天河さんのご指摘に、日向さんは大きな目をパチパチと瞬かせ――顔の半分はあるかのような、つぶらな瞳です――わたくしのほうに向けてきました。 真っ直ぐにこちらを見つめるその視線に、わたくしは申し訳なくなって顔を伏せます。 「申し訳ありません、日向さん。日向さんが心砕いてくださったというのに、わたくしは天河さんが作られたチョコレートパフェなるものを食してみたいと思ってしまいました」 ――そう平謝りしますが、犬であるわたくしの声は喉を通れば 「――クゥン」 という鳴き声にしかなりません。 それにしても、天河さんの観察眼は何と鋭いのでしょう。 わたくしは見た目に直ぐわかるほど、欲深い目をしていたのでしょうか? だとしたならば、相当に恥ずかしい気がいたします。 もう穴があるようでしたら、入りたいです。 思わず手足を掻き動かしますと、床に敷かれたタイルが爪でカシャカシャと音を立てました。 「そっか、ネコちゃんの目にも美味しそうに見えるんだ?」 屈託のない笑い声が頭上に響きますと、わたくしの小さな身体は床を離れ、日向さんの腕の中にすっぽりと納まりました。 テーブル近くに寄ったためか、チョコレートの甘い香りがわたくしの食欲を 一応、わたくしも乙女の端くれでありますれば。殿方の前で食欲旺盛なところを見せるのは恥ずかしい限りですが。 「一口くらい、食わせてやれよ」 天河さんがそう一言、口添えしてくださいました。 髪を金色に染め、口調はぞんざいであるせいか、とっつきにくい印象がある天河さんですが、お兄様であり店のマスターである満天さんを――マスターは「満天」とお書きになって、「みそら」と呼びます――心から慕い、経営について学んでいる大学の空いた時間を全て、お店のお手伝いに費やしていらっしゃることから見ましても、日向さんに変わらず家族思いの心優しいお方です。 「ネコちゃんが犬じゃなかったら、食べさせてやるんだけどさ」 そう言って、日向さんは唇を尖らせますと、悲しげに首を振りました。 「は? 何だ、それ?」 天河さんが疑問符を顔に浮かべますと、わたくしも同様に首を傾げます。 わたくしが犬であったら、何かいけない事情があるのでしょうか? ――ああ、もしや。 日向さんがわたくしに与えてくださったこの「ネコ」という名前から、ご主人様は犬より猫の方がお好きだったのでしょうか? もしそうだったのならば、なんと言うことでしょうっ! 日向さんが私にかけてくださる愛情に、わたくしは自分が愛されているのだと思っていました。 もし、本当に猫の方がお好きなのだとしたら……犬であるわたくしをそばに置いているせいで、猫が飼いたくても飼えないのではないでしょうか? ここは、日向さんの幸せのためにわたくしは身を引くべきなのでしょうか? 日向さんと思い出が、荒波にのまれます。 わたくしは、わたくしはっ、日向さんのためにどうすればよいのでしょう? 混乱の波間に思考を漂わせ、溺れそうになりながら悩んでおりますと、 「犬にチョコレートをあげたら駄目なんだ。下手したら死んじゃうんだ」 日向さんは天河さんを見上げて言いました。 「何だ、それ。タマネギが駄目だっていうのは聞くけど」 眉を顰め、訝しげな天河さんのお言葉に、わたくしは目を丸くします。 犬にタマネギが駄目? チョコレートが駄目? 一年と半年ほど、犬という生き物として、生きてきましたわたくしが、初めて知る 「そう、タマネギやねぎ類を食べさせたら駄目だって言うのは、犬を飼っている奴ならまあ、常識なんだけど。それと同じで、チョコレートも駄目なんだって。ええっと、確か、チョコレートに含まれるテオブロミンっていう成分が心不全を起こすらしい。まあ、大量摂取したらの話らしいけど。何にしてもネコちゃんには長生きして欲しいから、やっぱりチョコレートパフェはあげられないよ、ゴメンね」 わたくしの顔を覗き込んで、日向さんは面目なさそうに眉尻を下げられました。 「いいえ、そんなっ! 日向さんがわたくしの身をそこまで案じてくださっていたなんて、知りもせずに。私のほうこそ、申し訳ありませんっ!」 思わずそう叫びますれば、 「――ワンっ!」 声はどこまでも鳴き声として響くばかり。 ああ、ときに犬という我が身が歯がゆく感じられます。 「他にもさ、牛乳も駄目なんだって」 「は? 牛乳も駄目って、子犬には普通ミルクだろ?」 「だから、犬用ミルクじゃないと駄目なんだよ。ネコちゃんを拾った当初、かなり弱っていたからさ。ネットとかで色々と調べてわかったんだけど。危うく、牛乳を飲ますところだった」 日向さんはそう言って、申し訳なさそうな表情で「ゴメンね」と繰り返しました。 「もう少しで……殺犬しちゃうところだったよ、俺。弱っていたところに身体に悪いもん飲ませていたら、間違いなくネコちゃん、死んでいたかも」 その一言に、わたくしは少しだけ背筋が凍る思いがしました。 「……殺犬って何だよ。馬鹿か、お前。でも、牛乳も駄目だなんて、普通に犬を飼っている奴も知らねぇじゃねぇか?」 「そうか? 犬を飼うつもりなら、そういうのは調べるだろ。本を買ったりしてさ」 「……どーだか。産まれたばかりの子犬を捨てるような人間もいるんだぜ。犬を飼っている人間全てが、お前みたいに甘くはねぇだろ」 フンと鼻を鳴らして、天河さんは言いました。 幼馴染みでいらっしゃる天河さんは、日向さんのお人柄をよくご存知のようです。 お母様譲りの天然の栗色の髪に大きな目。この大きな目の印象で、本来の年齢より少しばかり幼く見えます。そんな日向さんは現在、十八歳。諸事情で、浪人中です。 男女、大人子供問わず、人好きで。屈託のない笑みがお日様のよう。 わたくしのような獣にも、細やかな気配りを施してくださる心のお優しい、少し夢見がちなお方です。 世の中の悪意より、善意を信じていたいと思われるそのお心は、とても尊いものだと、わたくしは思っております。 しかし、天河さんが言うように、人間は同じ人と言う生き物を平気で殺してしまう悪性も持っています。 わたくしが知る限りにおいて、日向さんの周りの人は皆、心優しい方ばかりです。犬であるわたくしにも、沢山の愛情を注いでくださいます。 そんな方々が悪意に傷つけられることがないように、わたくしは祈るばかりでありますが。 |