― 6 ― シャリンシャリン――。 ドアベルが、夏の暑さを払うように涼しげな音を奏でました。 開いたドアから夏の熱気と共にやって来たのは、水鳥さんと中年の男性です。 男性は、凛と真っ直ぐに伸ばした背筋が高くありますが、足取りは重たげで、痩せた頬が、数日前まで夏の暑さに参っていたことを如実に現していました。 その方こそ、朱音さんと水鳥さんのお父様でいらっしゃいます。 お父様が退院する日を水鳥さんから聞いた日向さんは、その帰りに「ベガ」に立ち寄ってもらうように、お願いしました。 そして、同じように朱音さんにもこちらに来て頂けるように、と。 仲違いをされているお父様との再会に、朱音さんが素直に応じてくださるとは思えないということで、水鳥さんは「食事の誘いと、誤魔化すことにします」と言っていました。 だから当然、ここにお父様が現れたことに朱音さんは驚かれたことでしょう。 先に来て、水鳥さんを待っていた朱音さんは、バンと、テーブルの天板を叩いて立ち上がりました。 「何で、アンタが来るのっ?」 顔を真っ赤にして怒る朱音さんは、そう叫びながら、どこか泣き出しそうな表情をしていました。 いまだにご自身の中にあるわだかまりが、悲しくてたまらない、といったように見えますのは、わたくしの穿った見解でしょうか。 本当は仲直りがしたいのに、頑固な気質に自分から折れることができないことを、朱音さんは持て余している――そんな風に、わたくしには見えました。 「アタシ、帰る」 四人掛けのテーブルに付いていた朱音さんは、ソファの上に置いた鞄を手に取り、店を出ようとします。 「ま、待ってください、朱音さん」 わたくしは、日向さんが用意してくださったゲージの中から、声を上げました。 ――ワンワン。 その一声に、朱音さんは日向さんの膝の上に隠されていたわたくしの存在に気づいたようでした。 お父様と仲違いしたときのことを思い出されたのでしょうか、朱音さんの顔はさっと青ざめました。 「もう、いや」 首を振って、朱音さんが店を飛び出そうとするのを、天河さんがドアの前に立ちはだかって遮ります。 「なっ、どいてよ?」 驚いた顔の朱音さんを前に、天河さんは無愛想な顔つきで肩を竦めました。 「うるさい客の相手をするのは、面倒だからな。今日で形をつけてもらおうか」 「――――? 何、わけわからないこと……」 戸惑う朱音さんに、水鳥さんが駆け寄りました。 「朱音ちゃん、結城君の話を聞いて」 「結城って……誰よ? 何で、アタシがそんなこと」 朱音さんの彷徨う視線は、天河さん、満天さん、お父様と向けられて、最後にスツールから立ち上がった日向さんに向いました。 真っ直ぐにこちらに差し向けられる視線を前に、日向さんは夏の太陽にも負けないような眩しい笑顔で応えます。 「こんにちは、朱音さん。俺が結城日向です。今日、朱音さんやお父さんを呼んだのは、俺です。すみませんが、少し俺の話を聞いてください」 「……話って」 「朱音ちゃん、お願い。悪いようにはしないから」 ギュッと服の端を握って、水鳥さんは訴えました。硬く握られた拳は、絶対に離さないと言っています。 眉をひそめながら、朱音さんは呆れたように水鳥さんを見つめました。 「何、企んでるのか知らないけれど、今回だけだよ」 ポンポンと水鳥さんの拳を叩いて、朱音さんは指を解きました。 「うん、ありがとう」 ホッと、水鳥さんは表情を和らげました。 二人は並んで、先程まで朱音さんが座っていたテーブルに付きます。 呆然と立っているお父様に、日向さんは微笑みかけます。 「お父さんも、座ってください」 「――あ、ああ……」 頷きながら、お父様は水鳥さんの向かいに腰掛けました。 朱音さんは窓の外を向いて、お父様は通路の床に視線を落として。どちらも目を合わせようと致しません。 二人の間にある問題は水鳥さんを介しても、向き合えないようです。 何が、この二人をこんなにもすれ違わせてしまったのでしょう? 日向さんの腕の中で、わたくしが首を傾げていますと、芳醇な香りが鼻腔を駆け抜けました。 思わず匂いの根源を辿りますと、満天さんと天河さんがそれぞれ、トレイにランチメニューを乗せて、こちらへやって来るところでした。 テーブルにカチカチと澄んだ音を奏で、食器が並びます。 満天さん特製のデミグラスソースがかかったハンバーグに、オニオングラタンスープ。生野菜のサラダに、パン。 パンは、商店街でも一番人気のお店から仕入れているものだそうで。 どの食品からも、美味しそうな香りが立ち上ります。 食欲を刺激してやまない香りを前に、お父様は申し訳なさそうに顔を顰めました。 「……すまないのだが。退院していきなり、この食事は……少し、軽いものを」 夏バテで胃腸が弱っていらっしゃるところに、ボリュームたっぷりの料理は酷なのでしょうか。 「――はい。ですが、これは日向君のお話を聞いてから下げさせてください」 満天さんはお父様にそう返しました。 「……話を?」 戸惑うお父様に、日向さんが一歩前に出ました。 「勝手にメニューを決めてすみません。でも、お父さんと朱音さんに確認したかったんです」 名前が出て、朱音さんは窓の外へと投げていた視線をこちらへと戻しました。 「――あの日、コロンが亡くなった日」 日向さんの一言に、朱音さんがスッと息を呑み、お父様は眉間に皺を刻みました。 お二人の緊張に、この場に集いますわたくしたちも身を硬くしました。 これから、どのようなお話が日向さんによって展開されるのか、わたくしたちも知らないのです。 「夕食の献立は、ライスとパンの違いがあるかもしれませんが、そのメニューじゃなかったですか?」 日向さんの指摘に、朱音さんとお父様は改めて、テーブルに並べられた料理を確認しました。 「……水鳥が、話したの?」 朱音さんは訝しげに、双子の水鳥さんへと問います。水鳥さんはふるふると頭を揺らして、否定しました。 「そんな、私はそこまで覚えていないから」 「……私だって、覚えてないわよ。でも……」 朱音さんは、「そうだったような気がする」と、呟きました。 日向さんは軽く頷きながら、お父様へと目を向けます。 「お父さんは覚えていますよね」 やや断定的な日向さんの物言いの前に、ああ、と苦々しげな声で肯定なされました。 「――覚えている。忘れるわけない」 「……そうですね。忘れるはずはないと思います。だって、コロンが死んでしまった原因になってしまったから」 |